恋するキオク
春だと言っても、夜の通りはまだ肌寒い。
本屋さんでしばらく雑誌を見た後、私と省吾は駅に着くまでにある音楽専門店に足を運んだ。
省吾が楽譜を見たいからと、ついでにちょっと立ち寄ったのだ。
自動扉が開くと、暖かい空気が吹き込んでくる。
「おっ、省吾くん。いらっしゃい」
お店のオーナーとも親しいみたいで、気さくに声をかけられた。
軽く交わす挨拶。
ガラスケースに並ぶ沢山の楽器も、私たちにとても合ってる感じ。
ところが省吾は、それからすぐに表情を変えた。
「……どうしたの?省吾」
ふと耳を澄ますと、店舗の二階から聞こえてきたのは、優しいピアノの音色。
ショパンなのか、モーツァルトなのか……よく分からないけど、すごく上手くて。
癒されるような響きが、体の中まで流れていく。
「あぁ、圭吾くんも今来てるよ」
オーナーが指先を上に向けると、省吾は小さくため息をついた。
「圭吾くんが弾いてるの?」
私が省吾を見上げると、省吾は軽く頷いて自分の見たい楽譜の棚へと移動する。
私はその様子が不思議で、何度も振り返っては二階への階段に目を向けていた。
会ってみたい気持ちが、どうしようもなく肩を引く。
悪い噂しか聞かないのに、ピアノなんて弾けるんだ。
ちょっとすごい…
やがて演奏が止まった気配を感じると、二階からはトントンと階段を下りる靴音が響いてきた。
「おぉ、圭吾くん、今日もいい演奏聞かせてもらったよ。ほら、そっちに省吾くんも来てるぞ」
省吾の時と同じで、親しげに声をかけるオーナー。
その言葉と同時に階段を見た私は、そこからしばらく視線を外すことができなかった。