恋するキオク



指は軽く流れる。

音も素直に入ってくる。

気持ちはこれほどまでに影響するのか、オレは心地よい響きを受けながら、夕暮れの日射しの中でピアノを弾いていた。


ここで野崎と過ごした時間を思い出せば、時々緩んでしまう口元が人目を気にさせて

扉の前を通る足音にも、敏感に体が反応する。




「沢さん、そこにいるだろ」


「あれ…、気づかれてた?」


「用があるなら入ってきてくれよ。余計気になる」



扉を開けた沢さんが、またオレを見ながら嬉しそうに笑って

オレは小さくため息をつきながら、呆れ半分でピアノに指先をはわせた。




「……うん、いい顔してる」


「何言ってんだって」


「いや、本当だよ。圭吾くんのそんな表情は、久しぶりに見た」



顔を上げにくくなるような沢さんの言葉に、オレは聞かない振りで視線を逸らす。

野崎に今の気持ちを伝えられたことで、かなり穏やかな気分になってるのは、自分でも分かっていて。

それを沢さんに指摘されるのは、なおさらやりにくかった。



「邪魔するなら出てけっつーの」


「おいおい、そりゃないぞ?せっかく気を利かせて呼びにきてやったってのに」


「は…?」




わけも分からず部屋を出る。

沢さんの後に付いて一階に下りれば、なぜかそこには野崎の姿が…



「米倉くん!え、なんで?どうしてここにいるの?」



バカみたいに大口を開けて、何度もなぜだなぜだと繰り返す。

それはこっちのセリフだって。



「圭吾くんはいつでもここにいるから。好きな時に来ていいぞ」


「おい、沢さん!」


「別にいいじゃないか。今日はこの間の修理代を払いにきてくれたんだ。もうとっくにお得意さんだよ」




沢さんの言葉を遮りながらも、オレはやっぱり野崎から視線が外せなくて

曲を聴かせたいと伝えてから、まだそんなに時間も経っていないのに、また姿を見れた嬉しさは、なかなか隠すことができなかった。



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