domino
 「楽しかったですね。」
 彼女はライブに大満足だったようだ。僕はそんな風に満足して笑顔でいる彼女に大満足だった。
 「本当に良かったですね。」
 人の洪水を縫いながら出口へと歩いている時も、僕らは二人きりの世界にいるようだった。僕は彼女しか見ていなかったし、彼女も僕しか見ていなかった。そんな甘い世界の中でも、彼女は笑いを忘れていなかった。
 「でも、大河内さん。踊り間違えていましたよね。」
 指さしながらうっすらと笑った。僕はただ笑ってごまかしていた。幸せとはこういう事を言うんだとわかった瞬間だった。
 そう思った瞬間、目の前に真っ赤な世界が拡がり始めた。この世界が始まる時、それは僕にとってはおぞましい時間の始まりだとわかっていた。この楽しい時間を壊されたくない、もしかしたら彼女を傷つけてしまうかも、殺してしまうかもしれない。僕は必死で真っ赤な世界に抵抗しようとした。
 「負けるものか。僕はこの世界にいるんだ。」
 必死な形相に彼女も驚いていた。
 「大丈夫ですか?大河内さん。すごい汗ですよ。」
 心配そうな彼女の顔はもう半分黒くなっていた。それでも僕はか細いながらも彼女に心配かけまいとした。
 「大丈夫です。すぐに治りますから・・・。」
 そう言った時には彼女の顔は完全に真っ黒い陰のようになっていた。そこで僕の意識は真っ赤な世界に墜ちていった。
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