domino
 住宅街に入った。ここまでくると人の数がさっきまでとは比較にならないくらい少なくなった。気をつけながら、でも、自然に、まるで熟年の刑事のような尾行を僕はしていた、はずだった。彼女の生活の一部を垣間見られるかもしれない、そんな気持ちが僕を熟年の刑事から、未熟な探偵にまでいつの間にか格下げしていた。
 人通りもあまりないせいで、彼女のハイヒールのカッ、カッ、カッという音が住宅街に鳴り響いていた。その足音が、彼女が角を曲がった途端に早くなった。僕も慌てて角を曲がった。
 それに気がついた彼女は髪を振り乱して走り出した。一心不乱に、もう確実に僕の事に気がついている事はわかっていた。でも、僕はそのまま彼女を追った。
 「助けてください。」
彼女が、たまたま巡回中だった警察官を見つけ僕を指さした。僕の顔を街灯が照らしていた。きっと、彼女には僕の顔がはっきりとわかっただろう。顔を見られた。そう思う焦りはすぐに別の焦りへと変わった。
 「そこの君、待ちなさい。」
警察官が自転車を立ち漕ぎしてまで僕に向かってきた。
 さっきの彼女のように僕は一心不乱に走った。別に悪い事はしていない。そう心に言い聞かせ、自分を正当化しながらも、やはり良心の呵責があったのだろう。捕まるわけにはいかない。もう、自分がどこにいるのかもわからなくなるくらいに走り続けた。
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