君をひたすら傷つけて
「だと言いけど、彼女は妥協しない人だからな。でも、それがいい。今回の仕事に妥協なんかして貰いたくないんだ」

「うん。分かった」

「雅と一緒にいると時間が過ぎるのが早い。都心に戻ったらちょうどいいくらい予約の時間になるな」

「まだ、お腹空いてないよ」

「大丈夫。ここから時間は掛かるから」

 そんなお兄ちゃんの言葉に頷いた。

 予約の店はお兄ちゃんが私がフランスに行く前に連れてきてくれた店と一緒だった。あの日、帰ってきたら、またここに連れてきてくれるという約束の為だった。

「やっぱり素敵な店ね」

「そうだな。雅とここに来るのがこんなに時間が空くとは思わなかった」

 私もそうだった。たった二年の語学留学のはずが既に五年の年月が過ぎている。でも、お兄ちゃんは私との約束を忘れてなかった。

「コースを頼んでる。デザートは好きなのを追加していい」

「うん。ありがと。楽しみ」

 そう言った私をお兄ちゃんは嬉しそうに見つめていた。

 お兄ちゃんと食事をして私の住むマンションの前に来たのは夜の九時を過ぎた頃だった。お兄ちゃんと一緒の時間はあっという間で名残惜しく感じた。いつもと違うのはこれが『最後』だとお兄ちゃんに言われているからだと思う。仕事で会うことはあるかもしれない。でも、こんな風に二人で会うのは最後。きっと、私が望んでもお兄ちゃんは二人で会うことはしないだろう。

「楽しかった」

 お兄ちゃんの言葉に私は泣きそうになる。高校三年から今まで私が本気で甘えられた人を失おうとしていた。
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