君をひたすら傷つけて
 お兄ちゃんは疲れているのにそんなことを言いながら嬉しそうな顔をする。久しぶりに会ったのだから、他に言うことがあると思うのに、第一声はそれだった。

「おかえりなさい」

「あ、ただいま」

 リビングに入ってくると、スーツの上着を脱ぎ、ネクタイを外しながら、寛ぎ始める。疲れているはずなのに嬉しそうで仕方ない。

「篠崎さん凄いね。でも、映画祭って凄い。映画祭に出席するためにイタリアに行くのね」

「ああ。雅のパスポートは大丈夫だよな」

「大丈夫だけど……。その話は後から聞くから、とりあえずお風呂でも入ってゆっくりして。もう、今日は仕事ないんでしょ」

 篠崎さんの話、それもイタリアの映画祭に参加となると、長くなりそうだったから、先にお風呂に入ってゆっくりして欲しかった。お兄ちゃんはいつもそう。

「ああ。流石に二日以上も徹夜すると厳しい。風呂の中で寝るかもしれないから、軽くシャワーだけにして、明日、起きてから風呂には入るよ」

「わかった。ご飯は?」

「何かある?」

「シャワーを浴びている間に何か作っておくわ。でも、あんまり凝ったものは出来ないけど」

「お茶漬けでも何でもいいよ」

 私は冷蔵庫の中のいくつかの料理を取り出すとお皿に入れていく。お兄ちゃんの食事の準備をしながら、映画祭のあるイタリアのことを考えた。リズの仕事の関係で何度か行ったことがある。お兄ちゃんがパスポートということは私もイタリアに行くことになるのかもしれない。

 もう一度ヨーロッパに行くということで、思い浮かんだのはアルベールのこと。優しく愛してくれたのに、私が最後は傷つけてしまった。別れたことに後悔はしてないけど、ただ、幸せになって欲しいとは思う。
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