あなたと恋の始め方①
 先輩は小さく溜め息を吐きながら煮詰まって苦くなったコーヒーを口に運ぶ。その様子を見ながら私も手元にあるデータを見つめるのだった。私と先輩が導き出した計算では上手くいってて、製品として完成していると言ってもいい。それなのに現実が厳しく圧し掛かってくる。


 数字の上ではうまくいくはずなのに、実際にはうまくいかない。


 机上の空論がどれだけあるかを骨の髄まで浸透している。でも、これが研究の醍醐味。うまく行かないからこそ必死になっていく。それを乗り越えた時に感じる達成感は堪らない。


「この辺で切り上げて食事でも行くか?」


 そんな中垣先輩の言葉に私は首を振った。お腹は空いて堪らないけど、私に首を振らせたのはさっき私の携帯が震えたから。小林さんからの食事の誘いのメールが入っていた。まだ、返事はしてないけど、今日みたいに仕事が上手くいかない日は大好きな人の顔を見たい。



「約束があります。」

「支社の小林か?」


「ええ。さっきメールがありました。仕事が終わったそうなので食事に行こうって誘われてます。まだ返事はしてないですが」


 私がそういうと、中垣先輩は表情を変えずに私の方に視線を向ける。そして、白衣を脱ぎながらぶっきらぼうだけど優しい言葉を発したのだった。


「早く連絡して楽しんでこい。仕事は早いのにこういうのは遅い」


 笑いもせずに言葉を紡ぐ中垣先輩は大人だと思う。

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