元教え子は現上司
運命のひと
 夕方過ぎにスコールのような大雨が降った。ただでさえ貧弱な碧のアパートは、濡れそぼった今、マッチ棒で作った家のようにぐしゃりと倒れそうに見えた。

 まるで碧のようだ。
 小川は煙草をくゆらしながらアパートを見て、ふっと笑みを浮かべた。

 道端に転がる石を見るような、感情のない眼。

 それが碧の第一印象だった。淡々と仕事をする機械のように見えて、けれど生徒に対してだけは笑顔を見せる。笑わないのではない、人を選んでいるのだと気づいた。
 その選ばれた人間の中に自分は入ってないとわかったとき、碧に対する興味がうまれた。御曹司の息子と言われ、注目されるのが当然だった小川にとって、この反応は目新しく新鮮だった。

 見ているうちに、ふと気づく。
 彼女は、自分とよく似ている。

 小川の母親は家を守ろうとした結果、あらゆる教養を身につけることを息子に強いた。小川はいつしか笑みを絶やさないことで、周りに堅牢な壁を築いていった。
 笑顔を浮かべる自分と、笑わない彼女。正反対に見えて、心を占める空虚な寂寥感は同じだとわかった。実際、彼女はときどきとてもさびしそうな表情でどこか遠くを見ていた。

 自分だけが彼女を理解できる。
 そして彼女だけがきっと、自分を理解してくれる。

 携帯のディスプレイに表示された碧の名前を見たとき、手に入れた、と思った。

「もう離さないよ」

 煙草と唇の間で、小川はそう呟いた。
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