元教え子は現上司
 暁はゆっくりと目を開けた。なんだか短い夢を見ていた気がする。ぼう、と開く視界いっぱいに、こちらを見つめる碧がいた。どこか愉しげに、口端を緩めている。

「おはよう」
 もう裸ではなく部屋着を着ていて、その上から薄ピンクの上着を羽織っていた。つまらないな、と頭の片隅で思いながら、手を伸ばして頬を包む。親指で浅黒い隈を撫でると、くすぐったそうに目を細めた。
 撫でられる猫のような表情を浮かべながら、碧が小さく言う。
「思い出してた」
「なにを」
「むかし。私の授業、爆睡してたよなぁって」
 ふふ、と笑って頬を包む手を包みこむように指を絡める。銀色の指輪がひかる。

 最近、こんな風にふたりで昔の話をする。思い出の濃度にもうさみしくならないと、お互いわかっているから。
「そうだっけ」
 とぼけてみせて、もう片方の手で碧の腰を引き寄せる。碧はおとなしく腕の中におさまって、暁の鎖骨に額を擦りつけた。
「もう起きないと」
 そのくせ、そんなことを言う。

 ベッドサイドに置いてる碧の目覚まし時計。今日は日曜日だけど、この後打ち合わせがある。上司と部下として、ではなく。
「袴木先生。来てくれるって」
「ほんとに」
 聞き返すと、碧が目でダイニングテーブルを示す。積み重なった書類。仕事の資料に紛れて、小さな葉書が数枚重なっている。青い鳥が二羽描かれたそれは、先月二人で出した招待状だった。
 
 このたび私たちは入籍いたしました
 つきましては皆様へのご報告を兼ねまして、ささやかながら披露のパーティーを催したいと――

 再来月挙げる、ふたりの結婚式。招待状を出した数は多くない。限られた人数の、ちいさな結婚式。その式に、袴木も招いた。
「返信来たの、いちばん早かったよ」
 碧が嬉しそうに笑う。その無邪気な笑みにつられて暁も笑みを返した。
「打ち合わせ何時からだっけ」
「十一時でしょ」
 挙式まであまり時間がない所為か、式場との打ち合わせは一回が長い。前回は三時間だった。

「疲れてる?」
 そう尋ねる声は、少し不安げ。目の下に隈を残しているのは碧の方だというのに。妻は繊細で、臆病だ。
「お互いさまだろ」
 引っ越し、入籍、式の準備と並行しての仕事。かつてない忙しさに疲れは感じている。
 だけどそんな日々が愛しくもある。

 疲れて、苛々して、喧嘩もして。そんな毎日を繰り返して、ようやく二人は教え子と先生じゃない、上司と部下じゃない、暁と碧、というふたりになっていってる気がしている。
 
「あおい」
 見上げる碧の頬を両手で囲んで、顔を引き寄せる。黙って閉じる睫毛が愛しい。
 唇にキスをして、ぎゅっと抱き寄せた。

 どうして彼女だったんだ。
 あの男は尋ねた。
 そんなのわからない。
 元先生で、今は部下でもあり、でもそんな肩書なんて関係ない。

 たったひとりの、俺の大切なひとなんだ。



 ――END――
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