暗闇の恋
バイト終わりに電話が鳴った。
ディスプレイには[八雲 郁]と出ている。
なんで郁が電話してくるのかわからなかった。
聞こえない彼は話せないわけじゃないと言っていたけれど一度も彼の声を聞いたことがない。
「もしもし?」
やっぱり電話からは何も聞こえない。
待って…微かに息遣いが聞こえる。
いつもと違う。なんだかしんどそう…。
「すぐ行くから!」
郁に聞こえるわけがないのに、そう言って私は走り出した。
雨が鬱陶しくてたまんなかった。
電話を切ってから30分ぐらい経って、私は郁のアパートに着いた。
郁の家は二階。
二階に上がると玄関の戸が少し開いてる。
近付くと靴が挟まっていた。
「郁?」
そっと部屋の中を覗いた。
奥の部屋から郁の足が見えた。
「えっ!?」
慌てて部屋に入る。
ベッドに倒れてる郁を見つけた。
「郁っ!?」
郁に触れるとビショビショに濡れていた。
肌に触れると冷たく冷えきっていた。
「郁っ!?起きて!!」
顔に触れると体と真逆で熱い。
「やだぁ凄い熱…。」
なんでこんな…なにがあったの?
郁になにがあったのか考えると辛くなった。
涙が溢れてきた。
その涙を拭う。
今は泣くより先にする事がある!!
郁の体を起こし座らせた。
タンスを勝手に開けていく。
「シャツと…これでいいか。」
スエットを出した。
上を脱がす。
こんな時なのに郁の裸にドキドキしてしまう自分に腹が立つ。
シャツとスエットを着せた。
ジーパン…どうしよう…。
迷ってる場合じゃない!
一気に脱がしてしまえばいいんだから…。
深呼吸して覚悟を決めて脱がした。
しまった!!ぱ…ぱ…パンツ……。
とたんに恥ずかしさでいっぱいになる。
ちょっと触るとパンツまでビショビショ…このままスエット履かせても意味ないし…でも、でも、でも…。
いや、それはない!待って!このままもダメだし…ヤバい頭パンクしちゃう!!
仕方ない。するしかないもん。
フーっと息を吐いて自分を落ち着かせた。
目を閉じてすれば大丈夫。
目を閉じて一気に下ろして一気に履かせた。
嫌な汗をかいた。
なんとか着替えを済ませて郁をベッドに寝かす。
147センチの私にはとてつもなく重労働だった。
とりあえず少し冷やさなくちゃ…。
台所に行き冷凍庫を開けた。
氷水にタオルをつけ、それを強く絞り郁のおでこに乗せた。
不意にその手を掴まれた。
「郁…起きたの?」
『あ・ゆ・む…』
郁の口があゆむと言った。
誰それ?
知らない名前を郁が言った。
「私はまどかだよ…。」
聞こえないのはわかってるけど…。
やだな…泣いたって郁は聞こえないから気付くことはないのに…。
私は郁の隣でそのまま眠りについた。

どのくらい寝たのか郁に揺り起こされた。
咄嗟におでこに手を当てた。
「よかった。」
熱は下がっていた。
不意に郁が私を引き寄せ抱きしめた。
この状況に着いていけない。
いくら言っても力を緩めてくれない。
「いい加減にして!怒るよ!」
そう言ったら郁の顔が近付いてきた。
私の口は郁の唇によって塞がれた。
びっくりして咄嗟に郁の唇を噛んでしまった。
苦痛に顔を歪ませ離れた。
私は思いっ切り郁の頬を殴った。
郁はごめんと言った。
どうかしてたと…。
なに?それって過ちってこと?
「謝らないでよ…」
下を向くと郁の手がなに?と言った。
「謝らないで!!」
こんな泣き顔見せたくない。
「私は郁が好き!大好きよ…でもこんなの嫌!他の子を想ってる郁とキスなんてしたくなかったよ!」
もうヤダ…こんなのってないよ…。
私は鞄を掴むと家を飛び出した。
少し走ってから気付く。
「あっ傘忘れちゃった…。」
もう…郁と友達じゃいられないかな…。
いくら私が好きでも郁の中に他の人がいたんじゃ勝ち目ないじゃん。
雨はこんな時に役に立つ。
どんだけ泣いても涙を流してくれるから。
雨の中足取り虚しく歩いてた私が悪いのか、酔っ払ったおじさんに声をかけられた。
「なに?泣いてるの?おじさんと楽しいことしませんかぁ?」
「うるさい…。」
「なんだと!?こっち来いよぉ!!」
「やだ!やめてよ!」
腕を掴まれグイグイと引っ張られる。
その手を郁が払い退けた。
追いかけてきてくれた…?
私を?
傘もささず、しかもサンダル。
よく見ると左右違うサンダルを履いてる。
愛おしくてたまらない。
もっと泣きそうになる。
もう、郁の心に他の人がいてもいいとさえ思ってしまう。
郁が私の手を取り来た道を進んで行く。
私はその手を払った。
『ごめん…とりあえず帰ろう。』
郁の手話を見たさっきのおじさんが郁に向かって
「なんだよ!この障がい者がっ!」
と、言った。
郁は聞こえない。でも、なにか言ってるのは感じ取ったはず。
少し顔を歪ませた。
私は思わず振り返り睨んだ。
おじさんはブツブツ言いながら立ち上がり駅の方向に歩いて行く。
郁に向き直り私の家はあっちだと駅の方向を指差した。
意地悪を言って困らせてやりたかった。
郁は言い方を変えて自分の家に戻ろうと言った。
どうゆう事?郁の気持ちがわからない。
私は自分の想いをぶつけた。
友達でもいられなくなるなら、全部ぶつけてしまったらいい。
まくし立てるように言った言葉は郁の心に届いたのかな?
困った顔になった。
どうしよう…私、郁を困らせてる。
こんな事になるなら無理にでも帰ればよかった。
もう考えないで…大人しく友達でいるから。
私の気持ちなんて心の奥のずっと奥にしまいこむから。
目が合った。
郁は少し微笑んで近付いてきた。
大きく腕を広げると私を抱きしめた。
さっきの強引な強さじゃなく、優しく包むように私を抱きしめた。
これって、私の気持ち受け止めてくれたってこと?
私も郁の背中に腕を回し抱きしめた。
これは夢かもしれない。
こんな事になるなんて嘘みたい…。
郁を好きになってからずっと夢見てたこと。
郁も私を好きになる。
でも違う。今はまだ郁は私を好きじゃない。
でもいいや…郁のそばで、郁と一緒に笑ってられるのなら今心の中に他の人がいたとしても、都合のいい女だとしても、私は郁のそばにいたい。
郁が離れ私にキスをした。
無理矢理のキスじゃない。
優しい優しいキス。

郁の家への帰り道。私たちは一言も交わさなかった。
家に着くと私たちはお互いを求め合うまま抱き合った。
郁の心に入りたくて。
少しでも私を見て欲しい。
郁の事を想うだけで震える。
愛おしさと不安が交互に押し寄せる。
この人ならいい。
この人に出会う為に私は今まで誰の物にもならなかったと思えた。
緊張と痛みで気が遠のきそうになる。
手を伸ばし郁の髪に触れた。
いつも帽子を目深に被り隠してる耳に触れた。
郁が嫌がる。
知ってる。いつも見ていたから郁の耳が事故で形をなくしてることは知ってる。
そっと耳にキスをした。
私は郁の全てを愛してる。
郁が泣いた。綺麗な綺麗な涙…。
もう、たまんないよぉ。
郁が好きすぎて苦しいよ。
私は雨が打ち付ける窓の音を聞きながら、郁の腕の中で大人になった。


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