マネー・ドール -人生の午後-
 俺は、初めて、杉本に本当のことを言う決心をした。
「本当は、俺達、ずっと冷えてたんだよ」
「ずっと?」
「ああ。もう、二十年。付き合い初めてから、ずっとな。俺達は、上辺だけで……お互い、分かり合えずにいた」
「そう……やったんか」
「お前んとこ、行っただろ。十五年くらい前に。あの時な、もう別れるつもりで、お前に謝りに行ったんだよ」
「俺に?」
「そう。約束、しただろ? 幸せにするって。約束、守れなくて悪かったって、言うつもりだった」
「佐倉……」
「だけど、言えなかった。お前には聡子さんがいて、俺と真純の結婚を喜んでくれて……言えなかった、どうしても……」
 俺達は何も言えなくなった。
 お互いに、過去に思いを巡らせて、もう戻れない月日を、ぼんやり数えている。
「二十年か……」
「だけど、俺、本当に、真純のこと愛してるんだよ」
「そうか」
「……真純は、お前のことを思い出してる」
 その言葉に、杉本は驚いた目をした。
「今更?」
「お前のタクシーに乗っただろ?」
「ああ。正直、あん時の真純は……」
「辛い思いをさせてた」
「気づかん振りを通すつもりじゃったけど、できんかった。……ガキの頃な、あいつ、母親に殴られるの、黙って耐えるんや。耐えて、耐えて、泣きもせずに、黙って耐えて、母親の気が済むまで、じっとな。母親の折檻から解放されたら、ほっとした目で、俺のとこ来て、与えられた小銭握りしめて、駄菓子を買いに行こうゆうんや。俺にも買ってやるって。それ、あいつの晩飯やのに……真純はな、そういう女なんや。黙って、ひたすら耐えて、自分の辛さを隠して、見栄を張る。つまらん見栄をな。あの日も、同じ真純がおった。冷えた目をしてた。ガキの頃とおんなじ目で、支払いに、一万円札出して、釣りはええってゆうた。駄菓子買う時とおんなじやった。そやから、俺……真純のこと、ほっとけんかった……」

 杉本は、真純のことを知っている。
田山も、真純のことを知ってる。
俺だけが、真純を知らない。
 
 ただ、好きなだけで、俺は、真純のことを、何一つ知らない。
 
「余計なことかもしれんけどな……真純は、愛されんと育ったからか、他人を大切に思う気持ちとか、好きだとか嫌いだとか、そういう感情が、欠けとった。友達もおらんかったし、嫌われとったな。……いじめにも、おうとった」

 今の真純からは、考えられない。
 でも、思い当たるところはある。
杉本に別れを告げに行ったあの日、真純は、まるで何か、ノルマをこなすように、淡々としていた。
俺に対しても、ずっと、優しさとか、思いやりとか……あの夜までは、感じられなかった。

< 75 / 224 >

この作品をシェア

pagetop