マネー・ドール -人生の午後-
「タクシーで帰るから、ここでいいよ」
「送らせて下さい」
田山くんは、振り向きもせず、私の荷物を車に乗せて、ドアを開けた。
「夫の事務所に、挨拶に行くの」
「場所、どこですか」
 今日で、田山くんの車に乗るのも、最後だね。
「ケーキ屋さんか、あったら寄ってくれる?」

「部長……」
「もう、部長じゃないよ」
私は笑ったけど、田山くんは、笑わなかった。
「本当に、いなくなるんですね」
「そうだね」
「もう、会えないんですね」
「……元同志として、また、話したせたら嬉しいな」
 逃げのセリフ。田山くん……ごめんね……
「時間、ありますか?」
 でも、私の答えを待たずに、急にハンドルを切って、車は、横道に逸れていく。
「ど、どこいくの?」
 田山くんは、黙ってアクセルを踏む。
「ねえ、田山くん……」

 しばらく走って、着いた場所は、港。海なんて、久しぶり……
「ここ、一人になりたい時によく来るんです」
 昼間だけど、人は誰もいなくて、汽船の音と、波の音だけが風に靡く。

「どうして……そんなに、キレイなんですか……」
「田山くん……」
「部長のことしか、考えられないんですよ! 俺はずっと、部長のために働いた来たんです! 俺の気持ち……俺の気持ち、わかって下さいよ! 企画なんて、どうでもよかった! 俺はデザインがやりたかった! でも、でも、部長……入社した時から……ずっと……一目惚れで……部長に認めて欲しくて、部長のそばにいたくて、俺は……十年……部長……」
 そんな、取り乱した彼は、本当に初めてで、私はどうしたらいいかわかんなくて、ただ、オロオロするばかり。
「好きになったらダメだって、わかってました……でも、俺……どうしようも……どうしようもなくて……」
 ハンドルに突っ伏す田山くん……きっと、泣いてる。顔は見えないけど、泣いている……
「田山くん……私……ごめんなさい……どうしたらいいの……」
 情けないくらい、私は、本当にどうすればいいのかわからなかった。
 どうすれば、田山くんが傷つかないの?
 涙ぐむ私。情けないね……仕事のことなら、なんでも解決できるのに、こういうことは、本当にわからない。
「すみませんでした。困らせてしまいましたね」
 顔を上げた田山くんは、いつものクールな田山くんで、行きましょうか、と、車を出した。

 途中でケーキを買って、なにもなかったみたいに、慶太の事務所を探しながら……ごめんね……田山くん……

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