黒太子エドワード~一途な想い

逃げるフランス軍

「何だ、あれは? カレーの町のむこうに、もう一つ小さな町が出来ている……? しかも、そのむこうには、大軍だと……!」
 カレーの町から少し離れた所で、フィリップ六世が本陣に定めたのは、少し小高くなった丘の上だった。
 だからこそ、イングランド本国から来た艦隊の多さ等が分かったのだった。
「何だ、あの数は! クレシー以上じゃないか! しかも、こっちは補給が途絶えてるっていうのに、勝てるのかよ?」
 近くの兵が、口々にそう言うのまで聞こえてきた。
「これでは、戦にならぬか……」
 それを聞いたフィリップ六世は、小さくため息をつきながらそう呟いたが、それでも一応、フランス王。「体面」というものがあるので、翌朝戦いを仕掛けると通達したのだった。
 だが──。

「これだけ、か……? もう少しいたのではなかったのか?」
 翌朝、本陣の前に整列した自軍の兵士を見て、フィリップ六世はそう言って顔をしかめた。
「それがその……昨晩のうちに逃亡した者もおりまして……」
 フィリップ六世の傍にいた若い男が困った表情でそう言うと、彼は再び顔をしかめた。
「そして、残った者がこれか……」
 やる気が無く、自分と目を合わそうともしない兵士達を見て、フィリップ六世はため息をついた。
 一体、あのエドワード三世と私では、何が違うというのだ? 何ヶ月もカレーを攻めあぐねていたというのに、あの士気の高さ。私には、何が足りんというのだ! 「若さ」は仕方がないにしても、あとはあまり変わらぬはずではないか!
 そう思ったものの、一度、「国王」として戦を仕掛けると言ってしまった以上、やるしかなかった。
「皆の者、カレーの同朋を救うのだ! 進め! イングランド軍を蹴散らすのだ!」
 その彼の命令に、馬上の騎士達は一応従い、カレー近くまで丘を降りて行ったが、そこで足が止まってしまった。
「どうした? 何故、進まぬ?」
「ぬかるみです、陛下」
 前方の様子を見に行っていた下士官が戻って来てそう伝えると、フィリップ六世は顔をしかめた。
「何だと?」
「下が湿地帯ですので、奴らもカタパルト等を固定して攻めることが出来ず、少し離れた所から補給を断つという手に出たものだと思われます」
「分かっておるわ、それくらい!」
 イラッとしながらそう答えたものの、本心では「そうだったのか……」と、初めて分かったフィリップ六世だった。
 それ位のことを察することが出来ていれば、クレシーでも大敗しなかったのかもしれないし、今回もこんなことにならなかったのかもしれない。
 だが、全てが既に遅かった。
「撤退だ……」
「は?」
「全軍に、撤退を命じよ!」
 
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