黒太子エドワード~一途な想い

王太子側近の殺害

「結構、あるんだな……」
 当時、王族が住んでいたのは、現在ルーブル美術館として知られているルーブル宮であった。
 12世紀にカペー朝第7代フィリップ2世が要塞として建設したものが元になっており、後に現在の王太子がレーモン・デュ・タンブルに命じて改修させるのだが、それはもっと後のことである。
 シテ島の城壁そびえたつルーブル宮を外から見ると、あれだけ息まいていた男達も一斉に酔いが醒めたかのように大人しくなり、中にはそんなことを言う者もいた。
 まだ時期が早かったか……。だが、まぁ、いい。あのナバラ王がノルマンディーで暴れている間は、あの若造も大人しくしておるだろうからな……。
 エティエンヌ・マルセルは、心の中でそう呟くと、酔いの醒めた者達を解散させた。

 彼の言う「若造」とは、現王太子シャルルのことであった。
 彼は、マルセルの予想通り、大したことはしなかったが、問題はナバラ王の方で、彼は翌1358年1月に第一次ロンドン条約をイングランドと可ttネイ締結してしまったのだった。
 この条約は、アキテーヌ等の広大な土地をイングランドのものとするもので、三部会も王太子シャルルも、その批准・履行を拒否した。
 平民も王太子も、どちらもその条約を拒否したのだが、これまでのことは積み重なっていて我慢の限界にきていたのか、パリ市民が暴徒化して王宮に乱入し、王太子の側近を撲殺したのだった。

「おい、動かねぇぞ……」
 先程まで
「王や貴族の犬め!」
等と叫んで、たまたま手にしていた棒を振り回していた男も、その言葉に、目の前で倒れている侍従を見た。
 その頭からは血が流れ、辺りには血だまりが出来ていた。
「うわぁ!」
 急に正気に戻ったのか、棒を手にしていた男は、真っ青な顔でそう叫び、手にしていた棒を手放したが、それで侍従が生き返る訳も無かった。
「捨て置け!」
 その様子を少し離れた所で見ていたエティエンヌ・マルセルは、低い声でそう言った。
 その言葉に、一同が彼を見た。
「その代り、今日はこれ位にして、もう家に戻れ! そして、これは誰がやったとか、そういうことは一切、口にするな! よいな? 誰かの名が挙がれば、俺達はみんな終わりだ。事が殺人だけに、タダでは済まん。せっかく大勅令を作って、俺達の意見が反映されるかもしれんとうのに、それはみんな、嫌だろう?」
「あんたも本当に黙っててくれるんだろうな?」
 王太子に仕えていた侍従を殴り殺した一人らしい、みすぼらしい身なりの男がそう尋ねると、マルセルは厳しい表情のまま、頷いた。
「当たり前だ! この場にいて『私は何もしませんでした』等と言って、誰が信じる? みんな共犯だろう?」
「なら、いいが……」
 男がそう言うと、マルセルは顎に手を遣り、何かを考えながら続けた。
「それに、あの軟弱そうな若造には、これは良い薬だろう。これで、我らの大勅令を受け入れるはずだ」
 その言葉に、彼の周囲にいた者達は頷いた。
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