真っ赤なお伽話
余程適当に生きてない限り運命について考えたことが無いものはいないだろう。「自分こそが人生の主人公であり自分で運命を切り開いてくべきだ!」このように言う人は数限りなく存在する。特に、このような発言をする人は一般的に成功を収めてると言われてる人達に多い。
しかし、もし人類最悪に運命について尋ねて見たら「『運命を切り開く』ふん。運命なんつうものはあらかじめ決められてるのさ。お前が例えいまある事をしなくてもそれは明日され、明日お前がしなければ他の誰かがするだけさ。成功を収めた奴は納めるべくして収めたのさ。」
と、舌をさえずらせるだろう。
しかし、僕は僕の運命についてこう考える。僕の人生というのは、本来三年前に終わっていたわけで僕の運命の道は既に絶えている。運命の絶えし人生。つまりは、残りはサッカーでいうロスタイムのような物。いつ終わるかも分からない束の間の延命。きっとあと二、三年の内にホイッスルが終わりを告げ僕は壊れる。狂って狂って狂って狂って狂って狂って狂って狂って狂って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って笑って叫んで叫んで叫んで叫んで叫んで叫んで叫んで叫んで叫んで怒って怒って怒って怒って怒って怒って怒って怒って怒って。
そして、手首に剃刀を滑らせるかもしれない。あるいは窓からふと空に身を任せるかもしれない。あるいは人類最強に勝負を挑むかもしれない。
自殺行為こそ僕にお似合いの死にかただ。誰かの為なんてとんでもない。僕が誰かの為に死ぬなんてそれこそ滑稽。何より滑稽。僕の死にかたは惨めで無惨で。そこには同情の余地もなく。そこには美徳の欠片もなく。そこには、ただこの世界のバグというべき物が朽ち果ててるだけだ。
「正しくバグ何だよ、僕は。」