常務サマ。この恋、業務違反です
全身をぐっしょりと濡らした姿で、私は執務室のドアの前に立った。


総合エントランスの警備員も眉を寄せたこの格好。
中に入るのをほんのちょっと躊躇って、自分を鼓舞するようにグッと拳を握った。
そして、その拳を静かに二回ドアに打ち付けた。


「はい。……佐藤さん? どうぞ」


ドアの向こうから即座に返ってきた声に、ドキンと胸が騒ぐ。
やっぱり戻ってた……と思いながら、私は一度大きく深呼吸してから静かにドアを開けた。


「もう調査済んだ? 早かったな」


高遠さんは書棚に向かって立っていた。
その手には分厚いファイルが開いた状態で載せられていて、真剣な瞳を向けている。
ドア口に立った私を人事部長と思い込んでいるのか、長い指で書類を捲りながら、高遠さんは素っ気なく言葉を続けた。


「報告なら後で見るから、デスクに置いておいて」


その言葉を聞いても動こうとしない私に、高遠さんはようやくファイルから目を上げた。


「……? どうし……」


眉間に皺を寄せながら私にその瞳を向ける。
そして、私の姿を確認すると、ガタンと大きな音を立てて書棚に背中をぶつけた。


「なっ……! 葛城さん!? どうして……」


大きく見開かれた目。
背中をぶつけたまま動けずにいる高遠さんを見つめて、私は後ろ手にドアを閉めた。


やっぱりずっと避けるつもりだったんだろうな、とわかってしまう。
妙に悔しい気分になって、私は高遠さんに近付いて行く。


「……ズルいです。私には避けたことを非難しておいて、高遠さんだって同じことしてるじゃないですか」


そんな不満に気持ちを後押しされるように、私は高遠さんの前に立って両足を揃えた。
< 135 / 204 >

この作品をシェア

pagetop