残念御曹司の恋
手慣れた仕事に変化があったのは、勤めてから六年目の春だった。

新型の精密加工用の旋盤の需要増を見込んで、クマザワ長野工場は大幅な増産体制へとシフトした。
東京の本社からの指示で、工場の事務スタッフは作業人員の確保と製造設備の増強に追われた。
工場内の人事関係の仕事をしていた私も例外ではなく、期間工などの採用手続きに追われ、それまでとは違い、連日残業を強いられることになった。

その戦略の陣頭指揮を執っていたのは、この春からクマザワの営業本部長に若干30歳で就任した熊澤堅(くまざわけん)で、近い将来、社長の椅子に座ることが約束されている熊澤家の御曹司であった。

この歳になるまで、他社で経験を積んでいたという熊澤の戦略は、当初は強引で無謀なものだと囁かれることもあったが、すぐに大幅な受注増を達成し、社内の反対勢力を一掃した。

てんやわんやの仕事も、それが実を結ぶと嬉しいもので、忙しい日々にもやりがいや充実感を感じるようになっていた。
だから、私の中で熊澤堅という人物は雲の上にいるすごい人で、まるで神様のような存在だった。

そして、この年を最後に結婚して退職することを考えていた私にとって、最後に思う存分仕事に打ち込む期間を与えられたことは貴重な経験になったと、彼に感謝すらしていた。

夏が終わる前にはお見合いをする予定だった。
八月の末生まれの私に、お見合いするなら一歳でも若い方がいいと薦めたのは母親で。
とびきり美人というわけでもなく、家もごく普通の中流家庭、年齢も当時としてはやや売り時を過ぎた私のことを客観的に見て判断したのだろうと思う。
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