まだ、心の準備できてません!
「どうして……ですか?」


なんとか頭を回転させつつ聞くと、私達の後ろで「じゃあ、ジャスミン歌いまーす!」という声と、拍手や歓声が響いた。

それを聞き流しながら、夏輝さんが口を開く。


「人間欲深いからね、優しいだけじゃそのうち物足りなくなる。だから……」


彼がそこまで言った直後、室内の照明が落とされた。暗くなり、カラオケのディスプレイが光を放つ。

それに気を取られた一瞬、肩にぬくもりを感じ、ぐらりと身体の向きが変わった。

驚いて見開いた目には、暗がりに慣れなくてもわかるくらいの距離に近付いた、夏輝さんの端正な顔が映る。

肩を抱き寄せられたのだと理解した時、彼の唇が続きを紡ぐ。


「少しは強引な男の方がいいかもしれない。──心の準備が出来るまで、待たないくらいの」


色っぽい声、煙草の香り、肩を抱く手の力強さ──。

すべてが私の脳を支配する。

何でこんな体勢で、こんな言葉を囁かれているのかわからない。


「な、つき、さ……」


ドキドキと脈打つ心臓が苦しくて、うまく声が出せない。

彼はふっと笑みをこぼし、「それはさすがに刺激が強いか」と呟いた。

からかわれているのかと思った次の瞬間、肩を抱く方とは逆の手が、私の顎をくいと持ち上げる。

そして、獣のような鋭さを秘めた瞳で私を捉え、こう言った。


「でも俺は、いつか君をもらうから。覚悟しておいて」

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