雨に似ている
音楽を始めた原点でもある、母親を慰めるために弾いたヴァイオリンでなら、自分自身の音を見つけられる気がした。

周桜Jr.の重圧で自由に演奏できないピアノよりも、誰からも何の期待も注目もされていないヴァイオリンなら自由に弾けると思った。


詩月はヴァイオリンを調弦し、ゆっくりと弾き始めた。

ヴァイオリンを弾きながら、胸に悲壮感が広がっていく。

何故こんなに辛いんだろう、何故こんなにも苦しくて寂しいんだろうと、何かに引き摺りこまれるような感覚に、詩月の指が震える。

ただ闇雲に、感情任せに、弾きまくった。

ーーこんなに悲しい音を奏でたくはないのに、ショパンなんて大嫌いで弾きたくないのに……

詩月は何故、今この曲を弾いているのかさえわからない。

が、詩月は演奏を止めようとはしない。


「郁! ヴァイオリンの音が聴こえないか?」

下足室で靴に履き替えながら、貢が郁子に尋ねた。

「ヴァイオリン? 何も聴こえな…!」

言いかけて郁子はハッとし、貢と顔を見合わせた。

郁子と貢は履き替えかけた靴を下足箱に戻し、ヴァイオリンの音を追った。

途切れがちに、耳を掠め迷走しながら奏でられるヴァイオリンの悲しく啜り泣く音色に、耳を澄ませる。
< 101 / 143 >

この作品をシェア

pagetop