雨に似ている
その正門正面に「カフェ·モルダウ」がある。


学園の音楽科卒業生のマスターが経営する、BGMを一切かけない風変わりなカフェだ。

店内中央に澱と置かれているのは、黒塗りのスタンウェイ社製のピアノ。

カフェ·モルダウは、マスターの計らいで予約演奏制ではない。

連日、音楽科の学生が各々自由に順番を競い、腕試しに演奏を披露することが恒例になっている。

終日、なにがしかの楽器がなにがしかの楽曲を奏でている。


その日。
彼は窓際の席に、1人座っていた。

普段の授業では聴けない学生の演奏に、耳を傾けていた。




「リクエストを1曲いいかしら?」


「!?……緒方」

細く掠れ気味の声変わりし損ねた声が、吐息のように呟く。

彼は固まったように、声をかけた女子学生を見つめている。


彼が見つめているのは、緒方郁子だ。

彼女は音楽科2年生で、ピアノを専攻している。

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