幸せそうな顔をみせて【完】
 禁句を口にした私はそのまま石になるかと思うくらいに冷たい視線に晒される。そして、何も言えずに黙ったまま見上げると、副島新は少しだけ眉間の皺を緩ませる。何を言われるかと思い、身が縮む思いがしたのだった。


 人の溢れるファッションビルの中で私の周りだけ音が消えたかのように感じる。


「帰るぞ」

 
 聞いたことのないような低く掠れた声が私の耳に届いた。


 でも、『副島センセイ』と言った言葉は綺麗に流されていて、私は副島新に手を引かれてファッションビルを後にしたのだった。そのまま真っ直ぐにホテルの駐車場に行くと副島新の車に乗せられる。そして、副島新はフッと大きく溜め息を零したのだった。


 不機嫌さが丸出しの表情に泣きたくなった。



「怒っているの?」


「ああ。自分に怒っている。もっと早く気付けば葵に無理をさせなかったのに。手が温かいとは思ったけど、まさか熱があるからだとは思わなかった」


「私に怒っているんじゃないの?」


「葵には怒ってないから安心しろ。少し、シートを倒して寝てていいから」


 副島新はそういうと、ゆっくりと車を動かしたのだった。


 副島新の言葉に安心した私は言われたとおりに少しだけ助手席のシートを倒し、運転する副島新の横顔を見つめる。真剣な顔で、真っ直ぐな視線は私の好きだったもの。真っ直ぐに見つめられる視線の先に自分がいればいいのにと思ったのは何時のことだったろう。
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