黄昏と嘘

・・・よく弾いていたのはきっとこの曲を好きなひとがいて、そして彼はその人のために弾いていたということだろう。
わかっている、それはきっと「大切」な「彼女」なのだ。
今、チサトが座る、この椅子で同じように座り、こうしてアキラの弾くショパンを聴いていたのは、「彼女」・・・。
チサトはその「彼女」をアキラに確かめたいという衝動にかられるが、怖くて聞くことができなかった。
いや、このことは絶対に聞いてはいけないことなのだ。

そんなことを思っていると、ふと今、チサトに嬉しそうな表情をしてアキラのピアノを聴く「彼女」が……。

見えたような、気がした。
「彼女」のことなんて全く知らないはずなのに。

チサトは目を閉じ、膝の上で両手をぎゅっと握りしめながらアキラの演奏を聴き入り、何も考えないようにしたけれどいつの間にかその「彼女」の存在が彼女にとって大きくなっていって胸の奥がすごく苦しくなっていった。

以前まで感じていた嫉妬ではなく素直にただ「彼女」が羨ましい、そんな思い。
でも今はそういう思いではなかった。
その「彼女」に対しチサトは妬ましい、そんな感情を抱き始めていた。

それはおそらく、こうして一緒に暮らして少しづつ、今までとは違ってきているような、そんな気がしたから、そのせいなのだろう。
本当に人間は欲深い愚かな生き物だ。
次から次へと望んでしまう。


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