Fly*Flying*MoonLight

PM1:20 病室

 ……楓?

 楓の身体が、動かなくなった。力が抜けて、ぐったりと俺にもたれかかってる。

 そっと唇を離して、楓の両肩を支えた。
「かえ……で?」

 とろん、と溶けそうな瞳。薔薇色に染まった頬。開き気味の、少し腫れた唇。
 ……思わず、ここが病室だって言う事も、楓が病人だってことも、頭からふっ飛びそうになった。

「かず……やさん……」
 ぼーっとした声で、楓が言った。
「和也……さんの、気持ち……が……」
「……」
「……熱くて……酔って……しまっ……」
 ……酔った!?

 そういえば……

(いつも、俺が危険な時に、傍に来てくれた……な)

 ……もしかして……

「……お前、俺の心、に反応してる……のか?」
 こくん、と楓が頷く。
「おばあちゃんに……私は、精神感応力が……高いって、言われ……ました」

 ……俺は、楓の瞳を見つめ、心の中で囁いてみた。
「……!!」
 楓が真っ赤になる。

 ……か、かわいい……

(だめだ、これ以上続けたら、この場で襲ってしまいそうだ)
 俺は手を離し、ポケットからスマホを出した。

「……もしもし、美月?」

***

「……もしもし、美月?」
 和也さんが、美月さんに電話してる。
(さ、さっき……和也さん……)

『お前の……薔薇のあざに、キスしたい』

(……って、思って……たっ……!!)

 ど、どうしよう……和也さんに反応しすぎてる……。
 心臓がばくばく言ってる。息が苦しい。

「……岡村に連絡取ってくれ。ああ」
 ……岡村さん……って……あの?
「……とびきりの宝石商をここに来させるよう、岡村に手配させてくれ。婚約指輪を買うから。楓の」
 ……え……?
 美月さんの興奮したような声が、漏れ聞こえてきた。

「……じゃあ、頼んだぞ」
 会話が終わる。和也さんがスマホをポケットに入れる。

(……い、今、何が……)

「こ、婚約……指輪……って……」
 和也さんが私を見た。瞳が熱い。
「……人間として、けじめつけないといけないだろ。いくら魔女的に結婚したとはいえ」
(う……!)
「け、結婚……って……」
 和也さんが顔を近づけてくる。瞳を覗きこまれて……動け……ない……

「……楓」
「は……い……」
「……お前が好きだ。俺と、結婚してくれ」
「……!!」
 し、心臓が……変な動きをした。……何にも考えられないまま、勝手に口が動いてた。
「は……い……」
 和也さんが、笑った。とても、嬉しそうに。
 笑顔が心に響く。胸が痛い。心臓が破れそう。頭に血が上って、何が何だか、わからないっ……!
「……楓」
 動けない私に、また和也さんの唇が近づいてきた……

 ――こんこん

 ノックの音。和也さんが眉をひそめて、身体を起こす。
(や、やっと息できた……っ)
 私は、はあ~っと息を吐いた。

 がらっと扉の開く音。
「――楓さん!」
 この声……
「九条……さん?」
 九条さんが、葉山さんを従えて病室に入ってきた。
「あなたが目を覚ましたと聞いて、大急ぎで駆け付けて来たのですが……」
 葉山さんが、一礼して、綺麗な薔薇の花束を渡してくれた。
「ありがとう……ございます。いい匂い……」
 少し心が落ち着いた……かな? 私は、九条さんに微笑みかけた。
 和也さんは、つと花束を持ち上げ、葉山さんに渡した。葉山さんが、花瓶を探してまいります、と部屋を出て行った。
 
 九条さんがベッドに近づき、パイプ椅子に座って、私の両手を握りしめた。
「火事に巻きこまれた、と聞いて、生きた心地がしませんでしたぞ」
「……ご心配をお掛けしました。もう、大丈夫です」
「本当は、もっと早くお見舞いに来たかったのですが……」
 九条さんが、ちら、と和也さんを見た。
 ……和也さん、仏頂面になってる……?
「……こやつが、邪魔をしましての。自分以外の誰もあなたに寄せ付けない勢いで……」
 え……?
 和也さんが、九条さんの手を振りほどいた。
「いつまで握ってるんです。楓は俺のものですから、手を出さないで下さい」
 やれやれ、と九条さんが首を振った。
「……本当に、ケチくさい男よのう。先行き短い年寄りの楽しみを奪わんでもいいだろうが」
「どこが先行き短いんです。充分長いに決まってる」
 えーっと……?
 九条さんが、横目で和也さんを見ながら、含み笑い、をした。
「わしの前で、『俺のもの』と言えるようになった……ということは、ようやく行動した、ということですな? こやつが」
「ようやく……って……」
 私を見て、九条さんが優しく微笑んだ。
「楓さんにお願いがあるのですが」
「はい……?」
「ぜひ、私の事を『おじいさま』と呼んで下さらんかの?」
 え?
「は、はい……」
 こほん、と咳をして、声を整える。
「……おじいさま?」
 これでいいのかしら……?
 九条さんは感極まったような顔をしていた。
「ああ……生きててよかったと感動しましたぞ……マリーさんのお孫さんにそう言ってもらえるとは……」
「あの……?」
 九条さんが、私の身体に手を回して……軽く私を抱きしめた。
「本当に、こんなかわいい孫娘ができるなんて……夢のようですじゃ」

「いい加減にしろ、じーさんっ」
 めりっという音が聞こえた気がした。和也さんが、私から九条さんをひっぺはがした。
「孫の嫁に手を出す気かっ!」
「……まだ嫁じゃないだろうが」

 ……孫って。

「あの……おじいさまって……、本当の和也さんのおじいさま……なんですか……?」
 ……和也さんと九条さんの目が点、になった。
「……そう言えば、ちゃんと紹介してなかったな……」
 和也さんが、九条さん……おじいさまを見て言った。
「九条 靖人。九条コンチェルンの現当主で、俺の祖父だ」
 九条コンチェルンって……あの大財閥の!?
 ぽかんと口を開けてる私の肩に、和也さんが手を回した。
「……俺の婚約者の内村 楓です。楓が退院次第、結婚します」
「……和也さんっ!?」
 おじいさまの目がきらり、と光った。
「これは……」
 おじいさまが私を見た。
「あなたが和也の嫁に来て下さるとは……非常に喜ばしいことですが……」
 おじいさまは、ちょっと声をひそめて、いたずらっぽく聞いた。
「……本当に、この男でよろしいのですかな? 見ての通り、嫉妬深いわ、独占欲強いわ、怒りっぽいわ……」
「……じーさん……」
 和也さん、怒りのオーラが出てる……。
 私はおじいさまを真っ直ぐ見て言った。
「……はい。そのままの和也さんが……好きなんです」
「……」
「……」
 ……あれ? 和也さん……が……
 私から手を離して、そっぽを向いてる……?

 ふっふっふ、とおじいさまが不気味に笑う。
「……こやつが真っ赤になるところなんぞ、初めて見ましたわい」
(え……?)

「お前っ!!」
 横を向いた和也さんが、手で口元を覆って、真っ赤になりながら怒鳴った。
「なんで、俺を好きだって、初めて言う相手が、じーさんなんだっ!」
 ……そ、そうでしたっけ? 
「ご、ごめんなさい……」
「謝らなくていいっ!」
「う……」
 はっはっは、とおじいさまが大声で笑った。和也さんが、おじいさまを睨みつける。
「この分じゃと、大丈夫そうですな。あなたなら、この偏屈な孫の相手もできそうだ」
 ……偏屈って。
「……ったく、口の減らない……」
 文句を言う和也さんをおかしそうに眺めるおじいさま。
「……お二人って、仲良し、なんですね……」
「俺がこのじーさんと!?」
 和也さんが私を睨む。
「はい。とても……お互いに信頼し合ってるんだなあって、見てて分かりますよ?」
「……」
「……」
 ……二人とも黙って……?

 おじいさまの表情が……変わった。
「……楓さん」
「はい」
「……あなたは……とても敏感な方じゃな。人の想いを読み取ってしまわれる」
「……おじいさま?」
 おじいさまが少し、辛そうな顔をした。
「正直に言いますと……財閥の当主、という仕事は、非常に敵が多くなるのですよ。悪意や憎しみにさらされる事も多々あることです」
「……じーさん……」
「わしは……この和也、を次の当主にしようと考えております。和也には、九条コンチェルンをまとめ上げる力、がある」
「……おじいさま……」
「じゃが……そのせいで、あなたが辛い思いをするやも知れない……」
 おじいさまが、私と和也さんを交互に見た。
「……今回の火事のように、ですか」
 和也さんが、黙り込んだおじいさまの後を継ぐように、そう、言った。
「あ……」

『……あのガキ共々、焼け死ぬがいい』

 あの……子が、和也さん……なら。
 あの人……は……。

「武田……様……?」

 おじいさまの瞳が……ますます辛そうに曇った。
「あの……」
 私はおじいさまに聞いてみた。
「……どうして、武田様は『九条』じゃないんですか? 和也さんの叔父さんなんですよね?」
「……」 
 深いため息をついて、おじいさまが話し始めた。
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