Darkness~暗黒夢~
 幾数個もの熱い水滴が、髪や肌、顎を下って煌めきながらバスルームの床に落ちて弾けてゆく。それはまるで透明なクリスタルのように、時に連なり、時に白く弾け、消えてゆく。剣はその様を黙って見つめながら、やがてゆっくりとボディソープに手を伸ばし、身体を洗い始めた。

 鼻先に漂う甘い香りにゆらりと瞳が揺れ動く。

 そうか、これか。

 さっき嗅いだ、舞の香り。その香りの正体に、剣は微かに苦笑した。




 パサリと軽く音をたて、朝刊が黒のローテーブルに放られる。部屋の隅々にまで行き渡るコーヒーの香りの中、白のノースリーブワンピースに着替えた舞が、足早にキッチンに向かう。少しの贅肉も許さない細くしなやかな素足に光る黄金のアンクレット。まるでひらひらと舞う蝶のような軽やかさで、ダークブラウンの床を渡る。

 まだ街が、完全には目覚めてない朝の風景。舞が朝食用のサラダを用意していると、裸の上半身にブラックデニムだけを身につけた剣がバスルームから出てきた。

「ごめんなさい、コーヒー飲んだら一度家に帰るわ。サラダ作ったから食べて」

「ああ」

 時計は五時三十分を回っている。舞は少し急ぐ様子でコーヒーを飲み終えると、今度は名残惜しそうに剣の唇に自分の唇を重ねた。

「またね」

「ああ」

 短く言葉を交わして舞が静かに部屋を出て行く。剣はマグカップを持ったままソファに座り、ローテーブルの上に放られたままの朝刊に目を落とした。

 左手でそっと紙面を広げてゆく。と、ある記事で、剣の瞳孔が散大した。




 空になったブランデーグラスが、グラス内に湿った光を留めている。あの時からずっと、闇に沈んだまま、漆黒の闇の中を彷徨う心。見る夢もあの日からずっと同じ……。

 神楽。

 ダークブラウンの瞳が静かにその瞼を上げ、空に視線を放つ。剣はそっと、立ち上がった。
< 21 / 26 >

この作品をシェア

pagetop