Darkness~暗黒夢~
氷の溜め息
 革靴が階段を上がって来る。その音に、剣は作業の手を止め、パソコン画面から顔を上げた。

「ただいま」

 鉄製の灰色のドアを開け、ダークブラウンの髪をした青年がネクタイを緩めながら手にスーツの上着を持ち、アトリエ兼事務所に入って来る。

「お帰り」

 立ち上がって微妙に瞳を上げ、剣がそう声をかけると、青年は苦笑いを浮かべ、手に持っていたスーツの上着を来客用の黒いソファに放った。

「悪い、お茶、くれるか?」

「ああ」

 青年の言葉に剣が小さなキッチンに向かい、黒い小さな冷蔵庫から麦茶を入れたペットボトルを出してグラスに注いで戻って来る。青年はそれを受け取ると、美味そうにゴクゴクと喉を鳴らしながら、冷えた茶色い液体を一気に飲み干した。

「ふう~っ」

 空になったグラスを手に青年が大きく息をつく。剣は静かな足取りで自分のデスクに戻り、パソコンの電源を入れたまま、真っ白なスケッチブックにサラサラと鉛筆を走らせ始めた。

「進んでるか?」グラスを手にしたまま、それを見ていた青年が尋ねた。

「ああ」剣はダークブラウンの瞳をスケッチブックに固定したまま、静かに返事した。「そっちは……どうだったんだ?」

「ん……」

 訊き返された青年の表情が曖昧な色で緩む。その表情を剣は見逃さなかった。

 今は何の色も載っていない、処女雪のような真っ白な紙の上を、滑らかに走る鉛筆の音だけが、静まり返った室内に響く。器用に鉛筆を操る剣の指はとても長く、美しかった。

「ちょっと休憩したら、後二、三件回って来るよ。遅くなったら俺、直帰するから」

「……ああ」

 ソファにドカリと体を投げ出し、背もたれに背中を預けて両腕を横に開き、青年が再び深い溜め息をつく。クマの浮かぶ目元から流れる頬はこけ、シャープな顔をより一層シャープに見せる。横顔の瞳が、どこか寂しげに空を彷徨っていた。

「……じゃ、行くわ」しばらくして、ネクタイを締め直しながら青年がそう言い、立ち上がる。

「神楽(かぐら)」

 剣はスケッチブックから視線を外し、顔を上げて青年の名を口にした。

「ごめんな……。お前にばっか、営業させて」

「何言ってる」
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