残業しないで帰りたい!
ふと視線を上げると、澄んだ青い空の下、白い富士山がくっきりと映えて見えた。
「香奈ちゃん、富士山が見えるよ」
香奈ちゃんを抱き締めていた腕を離してクルッと反対向きにすると、肩に手を置いた。
「あっ……ホントだ!すごーい!こんなにはっきり見えるんだね。……すごく綺麗」
「でしょ?」
「うん」
今日の富士山はいつもにも増して凛として、積もった雪の山筋が見えるくらい明瞭に見えた。
「横浜から見る富士山は千葉から見るよりずっと大きく見えるんだ」
「そうなの?」
「うん。まあ、距離が近いからだけど、子どもの頃に見て以来だったから、なおのことそう感じるのかもしれないね」
「そう」
「……俺、横浜に来て良かった。横浜に来なかったら香奈ちゃんとこうやって一緒にいられなかったし。俺、横浜のこと好きじゃなかったけど、香奈ちゃんのおかげで好きになれた気がする」
香奈ちゃんは驚いたように顔だけこちらに向けて俺を見上げた。
「えっ?翔太くん、横浜、嫌いだったの?」
「嫌っていうか、好きではなかったねえ」
「……知らなかった。どうして?」
「うーん?それはね……営業の仕事取り上げられて、横浜に飛ばされたから、かな?」
「え……?そうなの?……そんなの私、知らなかった……」
そうだよね、それも言ってなかったなあ。
「飛ばされたなんて、格好悪くて言えなかったからね」
「そう、だったんだ……」
香奈ちゃんは少し考え込むようにうつむいた。
「私、翔太くんのこと、なんにも知らないのかもしれない……」
「何言ってんの?香奈ちゃんは誰よりも俺のことを知ってるよ。そりゃあ、どんなに近くにいたってお互いに知らないことはたくさんあるけどさ。こうやって少しずつ知っていけばいいんじゃないのかな?」
「うん……、そうだね。私、もっともっと翔太くんのこと、知りたい」
「俺も香奈ちゃんのこと知りたい」
顔を見合わせて微笑み合ったその空気は温かくて、体の芯から心地よかった。