残業しないで帰りたい!
だから夜になって弟が寝ると、「ドリル一緒にやって」と母親にねだってリビングで一緒にドリルをやった。
母親も楽しそうだったし、その間だけ、母親を独占できているみたいだった。できると褒めてもらえるのも嬉しくて、親父の帰りが遅い夜はそうやっていつもドリルをやっていた。
結局両親は別れて、俺は母親に捨てられてしまったけれど。
もちろんセールスでは、こんなエピソードまで話さない。
でも、俺みたいにいい加減な男が突然丁寧に教材の説明をしたり、自分の思い出話を真面目にするだけで、不思議と信頼してしまうらしい。
思い出話にまでたどり着けば、だいたいの人は買ってくれる。
誰か一人でも買ってくれると、それがクチコミで広がるから、もっと売りやすくなる。
これが俺の定番の売り方。
この売り方の場合、まず最初に話を聞いてもらうのが一番重要な足がかりになる。
そういう時はやっぱり見た目がものを言う。
もちろん、営業だからきちんとした格好をするのは当たり前なんだけど、それだけじゃない。
やっぱり人は顔を見て判断する。
見た目の悪い男より、見た目のいい男と話をしたい、と思うんだろう。
不思議だけれど、それは奥さんだけじゃなく、旦那さんにも同じことが言える。
教材は数十万円もする高い買い物だったから、最終的に奥さんは旦那さんに相談をする。
だから、夜にお宅へ伺って旦那さんに説明をすることも多かったけど、旦那さんも顔で相手の信頼性を判断している人は驚くほど多い。
信頼を得るための笑顔なんて、いくらでも作れんのにね。
騙されちゃいけないのになあ。
……いやいや、ちゃんとした教材だし、騙しているつもりはない。
騙してるつもりはなかったんだけど……。