鬼伐桃史譚 英桃

 菊乃は今ほどこの里に住む者の宿命を恨んだことはなかった。

 なぜここは鬼を討伐することができる忍の里で、愛する我が夫はこの里の長なのだろうか。

 そしてなぜ、大鬼を倒すことができるのは夫だけなのか。


 菊乃は唇を噛みしめ、夫を失うかもしれないという胸の内を押し殺す。

 この宿命を我が夫に背負わせた天をこれほど憎んだことはない。


 しかし、夫が戦に発たなければこの世界が終わってしまうのも事実なのだ。だから女は心の中で『行かないで』と必死に叫ぶしかなかった。


 夫は戦に向かえばもう二度と、この家には戻って来ることはないだろう。

 そう思うと瞼(まぶた)が熱を持つ。

 涙が目から溢(あふ)れ、頬をつと伝う。


 世界などどうでも良い。夫の広い背中に縋(すが)りつき、行かないでと言ってしまいそうになる。


「菊乃」


 木犀もまた、女と別れがたいのだろう。背を向けたまま、最愛の妻の名を口にした。


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