ウ・テ・ル・ス
 富裕層の楽しみのひとつに、高額な会費を払って、会員だけでエクセレントな空間を共有する「プライベート倶楽部」ライフがあるが、秋良達はそんな倶楽部のひとつを経営していた。代理母の契約をした女性達は、表向きは皆ここで働いている。もちろん秋良達の裏稼業を知らず、本来のスタッフとして働く人間がほとんどであるが、代理母契約の女性達はビーナスグループと称され、それらスタッフとは異なる就業形態で働いていた。ビーナスグループは、週に3回程度の出勤。また、10カ月近い長期休暇が許されるのも大きな特色だ。主な仕事は、特別室のドリンクカウンターに待機し、時折やってくる品のいい夫婦や豪華な装飾品に身を固めた夫人へのティーサービスを担当する。働く曜日と時間はローテーションで割り振られ、不要な情報交換を防ぐため、出来るだけビーナスグループ同士が顔をあわせないようにしていたが、時々複数のビーナスグループのメンバーに特別招集がかかる時がある。かわるがわるゲストのテーブルサービスを担当させられるのだが、真奈美は、これが以前三室の言っていた代理母選定の最終選考ではないかと直感していた。
 死刑執行の日を待つような気分で毎日を過ごす真奈美ではあったが、出来るだけ代理出産の事は考えずすむように、以前のように忙しい毎日を取り戻そうと心掛けた。もともと借金に追われ、倒れそうになるまで身体を動かし働いていた真奈美にしてみれば、こんな暇な仕事とか時間に余裕のある暮らしには慣れていない。仕事場ではカウンターの掃除から食器の片付けまで、私生活ではトイレの掃除から窓の拭き掃除まで、あちこちで仕事を見つけてはせっせと動き回った。三室はそんな真奈美を見て、余計なことをするなとたびたび叱った。
 しかし忙しい毎日を作っても、代理出産への恐怖と同様に、打ち消せないもうひとつの気持ちがあることも真奈美は意識していた。心の片隅で疼く小さな気持ではあったが、秋良に会いたかった。自分の管理担当である三室には毎日のように顔を合わせるが、ベルヴェデーレのアポロン、秋良の顔は滅多にお目にかかれない。秋良は倶楽部にはほとんど現れないので、実のところ、契約した日以来彼とは会っていなかった。だから、突然特別室のドアを開けて1カ月ぶりに現れた秋良の姿を見た時に、真奈美の足が震えたのも無理はない。
< 38 / 113 >

この作品をシェア

pagetop