凪の海
「ええ、ギターを囲むほぼ2メーターの距離と言ったらそこに居るのは、演奏者自身か、演奏者の大切な人ぐらいなもんでしょうから。」
「大切な人って…。」
「例えば、家族とか、恋人とかですよ。」
「そうなると、音楽を聴かせるというよりは、なんか…語るって感じですね。」
「そうです。ですから、彼女をモノにしょうとするのに、ギターを選んだのは、案外正しい選択だったのかもしれませんね。」
「モノにするなんて…、やめてくださいよ。人ギキの悪い。」
「そうでしょ?違うのですか?私は間違ったこと言ってますか?」
「先輩…また怒るんだから…。」
 佑樹は汀怜奈の皮肉の矛先をかわそうと話題の方向を変えた。
「でも今の自分みたいに恋人がいない場合は、ギターを弾くとどうなっちゃうんですかね。」
「そうですね…当然佑樹さんがギターを弾けば、佑樹さん自身に聞かせることになりますね。」
「ああだからか、それでじいちゃんが言っていたことがわかった。」
 汀怜奈は、会話にじいちゃんが出てきたことに色めきだった。
「おじいさまは…なんと?」
「高校野球が終わって、何もヤル気になれずダラダラしていた時にギターを勧めてくれたんですが…。『人に聞かせる楽器もいいけど、自分自身で自分に音楽を聞かせるギターってのも、いいと思わないか。』って。」
 汀怜奈は新ためて老人のギターに関する造詣の深さを知った。やはりあのおじいさまはただものじゃない。
「先輩、チューニング終わりました。」
 汀怜奈はギターを受取って、チューニングをチェックした。張りたての弦では、チューニングが狂いやすいのだが、音は正確に調整されていた。さすが野菜のおしゃべりを聞き分ける佑樹の耳はチューニングも正確だ。
「しかも見てくださいよ、先輩!」
 佑樹が嬉しそうにギターのヘッドを指差して大声を出した。
「ほら、みんな同じ方向を向いてら。」
 彼の指差すところを見ると、ギターのペグのヘッドが、みんな同じ方向に揃っている。『うそ…偶然でしょ?』胸騒ぎというか、期待感というか、汀怜奈は佑樹がギターをいじると何か不思議なことが起きるような気がしてならなかった。
「あの…。」
 見ると佑樹の父が部屋の入口に立っていた。
「なんだよ。おやじ。なんか用?」
 突然現れた父に不満そうな佑樹。
「いや、コーヒーでもどうかな…なんて。」
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