凪の海
「どう?お母さま。離婚した同士、おふたりで仲良く映画でも観に行かれたら。」
「えっ?」
「えっ?」
 ふたりが同時に汀怜奈を見た。汀怜奈の母親は明らかに驚愕の顔であるが、佑樹の父親の顔は、嬉しさ半分困った半分である。汀怜奈は、佑樹の父親の困り顔の理由を察して素早くテーブルの下から、1万円札を握らせる。父親の顔が緩んだ。
「そうですか…まあ、息子さんがそう言うなら…この際どうです、ご一緒に…。」
「息子って…ご一緒って…変なこと言わないでください。」
「お母さん、『僕』はひとりで大丈夫。先に家に帰ってるから。」
「僕ってなんですか!」
「おとうさま、わたしのお母さまをよろしくお願いします。」
「わかりました。お母さまを少しお預かりますよ。さっ、行きましょう。」
「あなた、いったい何を…触らないで…だから…汀怜奈…助けて!」
「いってらっしゃーい。」
 佑樹の父親に拉致されて、汀怜奈の母親がホテルを連れ出された。そんなふたりを見送りながら手を振っていると、汀怜奈の顔に自然に笑いがこみ上げてくる。
「キッ、キッ、キッ、キッ、キッ…」
「先輩、なんでここに…。」
 振り返ると佑樹が立っていた。10年ではない。たかだか10日ほど会わなかっただけなのに、なぜか汀怜奈の目に涙が浮かびそうになる。なんか佑樹さん、少し大人になったようだ。
「笑ってたかと思うと、今度は涙ぐんで…大丈夫ですか、先輩。」
「余計なお世話ですわ。」
 汀怜奈はハッとした。女言葉を使ってしまった。また、佑樹は怒り出すのだろうか。しかし佑樹は優しい笑顔を崩さなかった。
「この前は、失礼なことしてすみませんでした。二度としませんから、許してください。」
 佑樹は素直に頭を下げた。そんな笑顔で謝られたら…佑樹に会った時にと準備していた説教シナリオが、どんどん崩れていく。
「先輩に、会いたくて、会いたくて、でも連絡先もわからないから…。」
「そんなに…会いたかったのですか?」
「ええ。」
「どうして?」
 なんて大胆なことを聞くの?汀怜奈は自分の言葉で顔を赤く染める。
「どうしてって…今、先輩は自分にとって一番必要な人だからです。」
 佑樹が言葉を止めて、下を向いてしまった。汀怜奈の胸の心拍数もレッドゾーンに達している。彼の答えひとつで気絶しそうだ。
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