凪の海
 女文字で、一文字一文字丁寧に書かれてはいるが、堅苦しくもぎこちない頭文だ。女子高生が身の丈に合わぬ表現に手こずっていることが良くわかる。泰滋は思わずニヤつきながら読み進める。しかしその後に続く文章を見て泰滋は度肝を抜かれた。

『来月4月に、修学旅行で京都に行くことになりました。『文通運動』をさせて頂いている級友達とともに、文通でお世話になっております同志社の皆様とお会いできれば幸甚と、恥ずかしながら初めての返事を出させていただきました。』

 嘘だろ。会うことのない相手だと思っていたからこそ、無防備に自分のことを何でも手紙に書くことができた。会おうと言われても、恥ずかしくて会えるわけがないじゃないか。泰滋の二日酔いの頭が爆発した。手紙を読んで蒼白になった息子の顔を、理由のわからぬ母は、ただおろおろしながら見つめているだけだった。

 福岡県久留米市に到着した汀怜奈は、市内で一泊すると、翌朝、早速市役所の商工課に赴き、非協力的な窓口の担当者を気絶する寸前まで質問攻めにした。過去に事業所登録していたはずの、あの伝説のギター工房の記録を探すためだ。さすがに窓口の担当者も汀怜奈のしつこさに根負けし、彼女を資料室に案内すると、資料管理をしている古株の職員に取り次ぎ、自分はさっさと逃げ出してしまう。汀怜奈は、資料管理の職員へのインタビューと資料とで、伝説のギター工房の記録を探しまくった。
 九州の名河『筑後川』に沿って位置する久留米市は、隣接する大都市のベットタウン的要素も含み、福岡市、北九州市に次いで福岡県第3位、九州全体では第8位の人口を擁する大きな市だ。焼き鳥店数が人口1万人当たり約8軒といる風変わりな日本一も持っているこの市も、もともとは閑静な田舎であったが、1897年(明治30年)に第十二師団、1907年に第十八師団の駐屯地になってからは軍都として膨張した。
 古くから軍の駐屯地であったこともあり、周辺には軍需に結び付く産業が多い。軍靴や地下足袋用のゴムの軍需が、1922年(大正11年)に始まったゴム化学工業の発展に結びついている。石橋正二郎がこの地で創業しやがて、誰もが知っている世界的なゴムメーカーとなったことは、周知の事実であろう。
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