凪の海
 しかし彼自身が解らずとも、それは誰の目にも明白だ。つまり、ミチエの声の色、息づかい、香り、そして体温。相手の存在を身体で実感したいと願うこと以外のなにものでもない。当初は知的に幼い女子高生を相手にした、たわいもない文通対話であったものが、いつしか相手を一人前の女性として感じ始めていた。もちろん、今までの手紙には恋愛めいた文章を一切書いたことの無い泰滋だ。男女として、ミチエと会話の機会を持ちたい。そう自分の心が変化したのだと、認めづらい彼の気持ちもわからないでもない。

 泰滋がホテルの入口が見える場所にたどり着くと、果たして視線を下げず毅然と前を向いて立っている女性を見いだした。泰滋はその女性がミチエであることがすぐに分かった。そして、写真の中の8人の女子高生の中で、この人だと、いや、この人であればいいと目星を付けた女性であったことに少なからぬ衝撃を受けた。そう、喜びではない、衝撃なのだ。それほど生で見るミチエはインパクトがあった。相手はまだ自分に気づいていない。しばらく泰滋はミチエを観察した。
 清楚なワンピースに上着を羽織り、小さなバックを両手で前に持つ彼女。小柄ながらさすがにスポーツで鍛えた身体は均整がとれている。適度な筋肉と脂肪が付いていながら、手首や足首やウェストなどが締まっているからメリハリのある体型だ。
 写真の彼女とは違って髪は多少長めにしている。部活を終えてやっと髪を伸ばせるようになったのだろう。横長に切れたすずしい目元、そして神秘的な漆黒の瞳。これは写真ではわからなかったが、たとえようもない潤った輝きを呈している。目の前に居るのは女子高校生ではない。まぎれもなくひとりの女性であった。運動着姿の活発な女子高生の写真を見慣れていた泰滋にとって、衝撃的であったことに無理はない。
 泰滋はゆっくりとミチエに近づいていった。やがて、ミチエの視線が泰滋をとらえた。不安そうであった眼差しが、輝くばかりの笑顔に変わる。1メートルの距離に近づいた泰滋。初めてあったはずなのにひとことも挨拶せず、だた黙って笑顔で見つめ合っている。泰滋22歳、ミチエ19歳。ふたりは初めて、直接お互いの視線を絡ませあった。
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