ドナリィンの恋
 老人は、タガログ語でもかなり汚い言葉で麻貴を罵倒しているが、麻貴はいっこうに構わず、笑顔で車いすのハンドルを取ると庭に押していった。庭にあったパラソルで日陰を作り、ガーデンテーブルをどこからか見つけ出してきて老人の前に置く。老人は、何を言っても動じない、いや通じていないのだが、どこの国の人ともわからないこの女性に唖然とした。麻貴は、家の中から小さくて奇麗な絵皿を取ってきて、自分が日本から持ってきていたチョコレートを盛る。
「勝手に家のものを持ち出すでない!」と青筋を立てて、さらにがなりたてる老人の口に、麻貴は小さなチョコレートをひとつ放り込んだ。
「お口は怒鳴るためにあるんじゃないですよ。」老人はこの麻貴の意外な行動で口を封じられた。
「きゃっ!おじいさん助けて!」今度は、あろうことか麻貴が老人にしがみつく。見ると蜂が、チョコレートを狙って飛んできたのだ。老人は仕方なく、片手で蜂を追いやったが、麻貴はそれでも老人にしがみついて震えている。
 こんな麻貴を見て、おもわず老人の口元がゆるんだ。絵皿、チョコレート、蜂嫌い。これらはすべて、数年前になくした最愛の伴侶の嗜好そのものだったのだ。老人は、妻を亡くしてから失望のあまり、今は外界との接触を絶っている。妻は、世界中から集めたきれいな絵皿に、大好きなチョコレートを盛って、幸せそうに彼に微笑んだものだ。そして、庭いじりの最中に蜂に襲われると彼の陰に隠れ、いつまでも震えていた。麻貴を見ながら、そんな妻の面影を重ねて、懐かしく思い出していた。
「おじょうさんも、蜂が怖いのかい?」老人は、こんどは麻貴にもわかるようにと、不得意な英語で話した。
「ええ、大嫌いです!」
「亡くした私の妻も、蜂が大嫌いでね。私の名はトニーというのだが、ケンカした時は、『Tony Bee!! I hate you!!(トニーの蜂野郎!大嫌いだ!)』といってよく私を蹴ったものだよ。」
「その気持ち、よくわかります。」コロコロと笑う麻貴。
「それが悔しくてね、妻への当てつけで、自分が作った店の名前を『Jollibee(ジョリービー/お祭り気分の陽気な蜂野郎)』にしてやったのさ。」老人も久しぶりに笑った。
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