【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】
 30分後、私はオシャレなホテルのバーでソルティドッグ片手に自分の愚かさを嘆いていた。


 また性懲りもなく景久さんの罠に引っかかるなんて!

 婚約時代に何度も何度も何度もこの男は私を職場から拉致して自分の思うとおりの用事に付き合わせたじゃないか。この男はそういう男なのだ。笑顔で人を陥れる男なのだ。

 そもそも私達みたいなバツイチまじりのオバおねえさん連合軍の合コンに商社の若い男が来るって段階で話がうまく行き過ぎていることに気付くべきだったんだわ。合コン幹事の椿だって私と同じアラサー独身の元同期なんだから商社のイケメンにツテなんかないことくらいわかっていたはずなのに!

「おかしいと思ったんですよ。
 あんな若いイケメンが合コンを抜け出して私なんかと飲みなおすとか。ありえないっすよね……」

「ありえなくはないかもしれませんが、今回は僕の仕組んだ罠でしたね。
 あなたが普通に僕からの電話に応答するか、素直にメールアドレスを教えればこんな回りくどいことはしなくて良かったのですが」


 景久さんは私をだましておいて反省のかけらもない。それどころかむしろこちらを責める。
 私は元夫を涙目でにらんだ。

「どうして元夫と離婚後二年も連絡を取り続けなきゃならないんですか。子どももいないのに!
 別れた男といつまでも連絡を取り合っていると男運が落ちるって雑誌に書いてありましたよ。心理学的にもそういうのって結婚に失敗した過去のセルフイメージを引きずるからよくないんだそうです。
 景久さんはもう相手がいるから余裕ぶっているんでしょうけど、いつまでも元妻と連絡を取り合ってたら桜子さんに捨てられますよ」

 若干意地の悪い口調になってそう脅したが、景久さんは涼しい顔をしている。

「今度、北条グループの経営するレストランチェーンが東京に進出することになりました」

 いったい何の話だよ。今さら北条グループの事業展開なんか私に関係ないわよ。内心そう毒づきながらも、私は一応社交辞令として返事をした。

「アラ、おめでとうございます。クーポンとか招待券があったら分けてくださいね。ちょうど女子会の会場に困ってたんですよ。合コンするたびに反省会でしょ?もう行くところがなくなっちゃって。
 ところで何のレストランですか」

「中華料理です。主力商品は飲茶セットです」

 飲茶。目の付け所は悪くないわよね。
 私は北条家の事業展開にはもはや全く興味はないが、しかし女子会によさげな場所には興味があるのだ。

「いいですね!それ。多分女子は飲茶大好きですよ~。本気でクーポンください」

 景久さんは穏やかで優しい笑みを浮かべた。
 懐かしい表情を見せられると、結婚していた頃のことをつい思い出してしまう。

「クーポンはいくらでもお分けしますよ。
 それで、今後はその中華レストランチェーンが軌道に乗るまで、僕が度々東京に来ることになります。その際はまた一緒に食事でもしましょう。
 来月は5日あたりに上京する予定ですが、美穂さんのご予定は?」


 はい?

 私は眉根を寄せた。
 なぜか彼は当たり前のように私を食事に誘っているが、私は元妻である。妻ではない、「元」妻なのだが。
 常識的に考えて、別れた夫婦は子ども関係の用事で会うのでない限り、あまり一緒に食事などに出かけないのではなかろうか。

「景久さん、私の話を聞いていなかったんですか。
 別れた相手といつまでも連絡を取り続けるのは次の出会いの邪魔になりますからやめたほうがいいってさんざんお話ししたでしょうが!
 もう私の再婚が決まるまで二度と話しかけないでください。ただでさえない男運がさらに落ちるともうホンット困るんで!!」

 半ばキレつつそう言うと、彼はカウンターに置いた私の手の上に、自身の手を重ねた。
 そして、その美貌に真剣な表情を浮かべて、淡々とこう言った。

「あなたに男運なんて必要ないでしょう」

「えっ……なにそれ……」


 私は北条家を朱雀の祟りから解放した功労者だぞ?いわば伝説の巫女なの!それなのにその態度は何!?口先だけの「がんばってくださいね」すら言えないほどアンタの心は貧しいのか?

 育ちがよくて決してケチくさいことを言わなかった景久さんのあまりの変わりように、私は言葉を失った。

 景久さんは私の驚いた様子には何の反応もせずに優美な微笑を浮かべた。


「あなたは僕とまた再婚すればいいのです。他の男と結婚なんて、させません」


 なぜ。

 なぜ離婚後一年もたってから元妻の恋路の邪魔をしようと思ったの?
 この人、前からちょっとおかしなところがあったけれど、今は本格的におかしい。一見落ち着いた冷静な態度をとっているのに、言っていることは完全におかしい。これはサイコホラー映画に酷似した怖さがある。

 私はなんとか気を取り直してなるべく彼を刺激しないように事情を聞き出そうとした。

「ちょ、ちょっとまってください桜子さんは」

「桜子とは別れました」

 彼はまるで天気の話でもするかのようなあっさりとした口調でそう言いきった。
 桜子さんと、別れた。

 なぜ!!
 あんたたちとは全くの無関係で、しかも完全なる他人であった私の人生を巻き込むほど景久さんは桜子さんを愛していたんでしょ?子どもの頃から相思相愛だったんでしょ?
 それがどうしてこんなことに!
 それじゃ私は一体何のために体を張ってミサキ村に行ったのかわからないじゃない!あの時私は古井戸に落ちて骨折までしたんですけど?それが一年足らずで分かれるって人の骨をなんだと思っていやがる。

「ハアアアア!?なんなのそれどういうことっ!
 だから言ったじゃない元妻といつまでも連絡を取り合ってちゃ愛想を尽かされるって!
 ちょっと桜子さんに電話して今からでも謝ったほうがよくないですか、なんだったら私も誤解を与えたことを謝罪しつつ景久さんの無実を証言しますよ!!
 全くもう、そういう事は早く言ってくださいよ、桜子さんに振られたからって安易に元妻なら空いてるだろうという考えはよくないですよ。どこまで私を馬鹿にすれば気が済むんですか」

「そういう理由で別れたのではありません。桜子にはちゃんと僕から話をして、双方納得の上で別れることにしました」



 病気の女性を捨てるとかアンタ一体どんな鬼畜!?


「り、理由は……?」
「それは、ひとえに僕のほうに理由があります」
「な、何があったの」

 もしかして、景久さんが桜子さんの入院中に私と結婚までしていたことに原因があるのかしら。

 でもそれはあくまで桜子さんの心臓のドナーを見つけるためであって、ああ、でも朱雀がどうのなんて話をしたって一般の人には信じられないわよね。正直に事情を話しても下手な浮気の言い訳に聞こえてしまったのかもしれない。私だっていまだにあの出来事は夢なんじゃないだろうかと自分を疑うときがあるもの。

「景久さん、私が証言しますから、今から誤解を、」

 景久さんは私の言葉を手で制した。

「桜子と別れたのは、あなたが気がかりでならなかったからです」

 その返答に私は顔を真っ赤にした。もちろん景久さんの言葉が嬉しかったからではない。突然自立した社会人としての私を侮辱されたからだ。


「はああああ!?
 馬鹿にしないでよっ、私は確かに地元に戻っていたときは自分のキャリアを生かせる仕事を見つけられなかったわ。それは認めます。でも今は自分のキャリアを生かせる仕事を見つけてちゃんと自立しています!
 年収だって前職よりよくなったのに失礼ですよ!私は自立した大人の女です!」

 私は割と心の広い女だが、しかし自立していないに違いないという景久さんの一見親切めいた侮辱にはさすがに怒りを禁じえなかった。

「誤解しないでください。あなたがそれなりに優秀であることは知っています。
 そうではなくて、気がかりだったというのは、」


 景久さんはそこで言葉を切って私から目をそらした。目を伏せて言葉を選んでいる様子の彼は長い睫毛が目元に濃い影を作り、まるでルネサンス期の宗教画のように優美だ。


「あなたはもともと非常に前向きな人です。
 ですから、あなたが……、僕と別れてまだ一年にしかならないのに、恋人を作ったのではないか、と……気がかりで」

「は、い?」

 いやいやいや。離婚して一年もたっていたらそりゃ誰だって彼氏の一人や二人作るでしょうよ。
 まして私は子どももいないんだし、今度こそ幸せな結婚を目指して婚活するでしょうよ。いくら私が美人で無いからといって離婚後一生再婚しないだろうなんて本気で考えていたのかこの男は。

「あなたと結婚していたとき、僕は桜子が生きていてくれさえすれば他には何も望まない、と、本気でそう考えていました。
 そのためならばどんな犠牲を払ってもかまわないし、僕が彼女に二度と触れることができなくなっても我慢できると思えた。
 ですが、あなたの場合は違いました。
 僕と離婚したあなたが、今度こそ幸せになったらいいと思う一方で、あなたが東京で僕が見ていないのをいいことに恋人でも作っているのではないかと思うと……どうしても許せなかったのです。
 桜子には生きていてくれさえしたらそれでいいと思えるのに、あなたについてはそうではない。むしろ、ほかに男を作るくらいなら、いっそ死んで欲しいとさえ思うのです」


 いっそ死んで欲しい……だと?


「……」


 私は少し身を引いた。
 結婚していたころからほんのりとストーカーっぽい発言のあった景久さんだが、それは私が朱雀の巫女だから逃げないように気を張っているのだと思っていた。まさか真性だったとは。

「え、えーと……。私、明日仕事が早いのでそろそろ」


 私は財布から一万円を出してカウンターにおき、席から腰を浮かせた。こういう危ない人と付き合っていると私も危ない人だと思われるわ。
 しかし、さっさと逃げようとする私の手を、景久さんが突然つかんだ。いつも紳士的で、少なくとも表面上は穏やかな態度を崩さない彼が、人目のあるこんな場所でそんな振る舞いをするなんて。


 私は少し怖くなってその辺に座っているほかの客や店員に目を向けたが、私達の様子をチラチラと見ていたであろう人たちは私と目があうなりさっと目をそらした。



< 162 / 164 >

この作品をシェア

pagetop