冷徹なカレは溺甘オオカミ
のろのろと足を動かして、寝室へと向かった。

たどり着いたベッドに、そのままこてんと倒れこむ。



「……笑ったの、初めて見た……」



小さく声に出してつぶやけば、先ほど自分がたしかに見た光景が、まざまざと頭の中に浮かんでくる。

……薄暗くてはっきりとは見えなかったけど。ていうか口の端っこを持ち上げてただけで、あんなの笑顔って言えないのかもしれないけど。

でも、たしかに、笑ってた。

わたしのことを見つめながら、小さく微笑んでた。



「……印南くん、笑えるんじゃない」



またぽつんとつぶやいて、いつも斜め分けスタイルの前髪を指先でいじる。

さっき、印南くんも、触れた前髪。

そのときのことを思い出したら、とくんとくんと、鼓動が速くなる。


──大学時代、わたしと違って本当に恋愛経験値が多かった女友達が、お酒の席で嘆いてたっけ。

「自分の初体験は、ものすごく痛かったし相手の気遣いも全然なかったし、最悪だった!」って。


……でも、わたしは。



『仰せのままに。柴咲センパイ』



彼が──印南くんが、“ハジメテ”の相手になってくれて。

きっとわたしは、幸運だった。


まぶたを閉じれば、さっきまで感じていたぬくもりがよみがえる。

身体はすごくだるいのに、なぜかとても満ち足りた気分で、わたしはゆっくりとまどろみの世界に落ちていった。
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