くるまのなかで

“もしお互いがその気になったら”の話だ。

つまり、由美先輩はその気になっているけど、私と付き合っている奏太はその気にならなかったということ。

大丈夫、奏太が本当に結婚してしまうわけではない。

「あたしは、離婚して親も頼れなくて、困っていた時に手を差し伸べてくれた奏太に心から感謝してるし、惹かれてる。奏太が好きなの。息子も彼に懐いてる。今の生活を手放したくない」

「でも、奏太は私と付き合っています」

私がまた不安になったりしないよう、必要以上にこの部屋に通ってくれる彼の愛を、私はもう疑ったりしない。

「うん。だから今日は、お願いしに来たの」

「お願い?」

由美先輩は息を吹きかけ少し冷ました紅茶を大きく一口飲んだ。

「奏太と、別れてくれない?」

キレイな顔をして、悪びれもせず酷なことを言う。

彼女はこんなバカなお願いをするような人じゃなかったはずなのに。

「嫌ですよ。何言ってるんですか」

「コバリノは頭もいいし、学歴だってあるし、仕事だってしてて自活してる。奏太がいなくたって生きていけるじゃない。でもあたしは残念ながらバカだし、東峰高校卒業じゃろくな仕事も見つからないし、子供もいるから、今は奏太の助けがないと生きてさえいけないの。それに、カズにだって一緒に暮らす父親が必要だと思うの」

めちゃくちゃな理論だ。

彼女の世界は、いつから自分中心に回っているのだろう。

憧れていた由美先輩像が、音を立てて崩れていく。

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