午前0時の恋人契約





「すみれ?」



呼ばれた名前に、ふと我にかえる。

気付けばそこは夜の駅前で、がやがやと人が行き交う中、目の前には私の顔の前で手のひらをひらひらとさせる彼……貴人さんがいた。



「わっ!えっ?あっ!」



突然の光景に驚き、どうしてと考えてから思い出す。

あの後なんとか企画書を終え、今日は定時で余裕であがることが出来たこと。そして今日も、19時に駅前で彼と待ち合わせをしていたこと。



「なにぼんやりしてるんだよ。大丈夫か?」

「あ……はい、大丈夫です」

「ならいいけど。悪かったな、少し遅れた」



言われてから腕時計を見れば、時刻は19時15分。

遅刻してしまった、と大急ぎで来てくれたのだろう。貴人さんは少し息苦しそうに首元のネクタイを緩めた。



「珍しいですね、残業だったんですか?」

「あぁ。ここ何日か残業にならないようにやってたんだけどな、今日は予定より少し長引いた」



そう、だよね。元々すごく忙しい人で、朝は早く夜は遅くまで働いてるのに、こうして時間を作ってくれて……。



「……ありがとう、ございます」

「は?なんでだ?」



改めてお礼をする私に、意味がわからないと言った様子で首を傾げた。



「ま、いいや。いくぞ、すみれ」



『すみれ』、と彼が呼ぶ、まだ耳が慣れない響き。

その声とともにそっと差し出される大きな手は、昨夜と同じもの。



「……はい、」



その手をつなぎ、歩き出す。それだけのことで、この瞬間から私と彼は恋人同士になる。



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