ウェディングロマンス~誓いのキスはふたりきりで~
私の前に立っているのは、同じ銀行に勤める三年上の先輩で、営業第一部のホープ、倉西響(くらにしひびき)だ。


結婚式の会場だというのに、教会の後方からかすかに悲鳴が上がった。


行内でも絶大な人気を誇る彼。
憧れている女性はたくさんいる。
この結婚を良く思ってない人だって、きっと想像以上にいるだろう。


この悲鳴もさっきから感じる鋭い視線も、そんな女性達だろう。


さっきまでリアルに聞こえた鐘の音が、意識の深いところに消え入って行く。
声も物音も、何もかもが自分とは程遠い物になって行く。


迎えたゼロ距離。
わずかに、鼻先が掠った。
小さな感触にビクッと身体を震わせる。


そうして、次の瞬間。
彼の唇が、微かに触れた。


わずかな温もりを残して離れていく彼の薄い唇。
ゆっくり目を開けた時、彼は祭壇に身体の正面を向け直して、背筋を正していた。
だから私は、その端正な横顔にただ見入るしか出来ない。


黒衣の神父さんは、直ぐに次の段取りを片言の日本語で指示して来る。


彼の姿は、ふわっと降りたヴェールに遮られる。
俯いて顔を背けてから、私はほとんど無意識にグローブを嵌めた手を右の頬に当てた。


彼の唇を感じたところ。
彼は、参列者には見えないように、触れる位置をずらした。


まるで、誤魔化すように。
極上の幸せに浸る私に、現実を突き付けるように。


誓いのキスは、唇ではなく頬に落とされた。
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