【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
秀吉の企み
 秀吉は陸奥から京に戻る途中、
駿河の駿府城に入り家康と会っ
た。そして小田原征伐での武勲に
対して北条氏の旧領のうち七カ国
を家康に与えると申し渡した。こ
れは家康が所領としている駿河、
遠江、三河、甲斐、信濃の五カ
国、百五十万石から北条氏の旧領
である武蔵、相模、伊豆、上総、
下総、上野、下野の七カ国、百八
十六万石への加増と同時に領地替
えをするということだ。百八十六
万石といっても北条氏の影響が強
い地で領民が素直に従うとは思え
ず、石高の加増は微々たるもの
だった。
 家康の領地替えには秀吉の企み
が二つあった。
 一つは家康を京から引き離し朝
廷との関係を疎遠にすると同時に
まだ疑念の残る陸奥の伊達政宗へ
の備えとすること。もう一つは家
康がこの領地替えを拒否するか難
攻不落の小田原城を居城とすれば
逆心の可能性がありとして討ち果
たすつもりだった。
 家康は少し考えてこれを受け入
れ、居城は武蔵の江戸城にすると
返答した。
 江戸城は小田原征伐でもすぐに
開城した粗末な城で一帯はほとん
どが沼地といた未開拓の場所だっ
た。
 家康の明らかに恭順するという
姿勢を見て取った秀吉は安心して
京に戻った。

 天下統一という偉業を成し遂げ
て上機嫌の秀吉は聚楽第で千利休
による茶会を催した。それから摂
津、有馬の温泉に行って湯治をす
るとそこでも利休、小早川隆景、
津田宗及らを呼んで茶会をすると
いったくつろいだ日々を送った。
 秀吉の機嫌のいい時を見計らっ
て利休は突然、暇乞いを申し出
た。
「すでに天下も治まり、私も明く
る年には七十歳になります。これ
を一区切りに身を退き余生を慎ま
しく暮らしたく思います」
 秀吉はこれまで利休が死力を尽
くしてくれたことをねぎらい、隠
居することを認めた。
< 49 / 138 >

この作品をシェア

pagetop