【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
鶴松丸の急死
 秀長が病死し利休も自刃した後
は、秀次や浅野長政、石田三成、
増田長盛、長束正家、前田玄以の
五奉行とそれに大谷吉継などが秀
吉の補佐をするようになってい
た。
 陸奥で一揆が起きるなど混乱は
あったが、民衆も新しい法度に慣
れると次第に落ち着いてきた。
 誰もが戦国の世が終わり、平穏
な暮らしができると思った。とこ
ろが秀吉の嫡男、鶴松丸が急死し
て一転、騒然となった。
 秀吉は戦で負けてもこれほどは
落ち込まなかったと、誰も見たこ
とのないほどの落ち込みようだっ
た。そうした様子から秀吉の隠居
は確実と思われた。
 天正十九年(一五九一年)八月
五日
 わずか三歳で病死した鶴松丸は
東福寺に移された。あわれな老木
のように打ちのめされた秀吉の脳
裏に利休が書いた辞世の句がよ
ぎった。

 人生七十(年) りきいきとつ
 わがこの寶(宝)剣
 租佛(仏)共に殺す
 ひっさぐるわが得具足の一太刀
 今この時ぞ天になげうつ

 信長よ、私は七十年の人生だっ
たぞ、ざまあみろ

 私のこの茶器の価値に信長は幻
惑され、やがて神仏を崇めず、自
らが神のごとき振る舞いをし始め
た(これは秀吉も同じだ)

 だから私が茶の湯で得た情報を
駆使して信長を一撃で死に誘う
(それは秀吉に天下を 取らせ
た)

 今、私が死んだとしても、他に
このこと(秀吉の共謀)を知って
いる者が秀吉を苦しめるだろう

 秀吉はこのように解釈していた
が、しかし信長暗殺に関して、誰
が真相を知っていようと天下人に
なった秀吉には、もはやなんの脅
しにもならない。そこで別の解釈
が浮かんできた。
< 58 / 138 >

この作品をシェア

pagetop