【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
講和
 攻勢を強める明軍は翌文禄二年
(一五九三年)一月に日本軍が集
結していた漢城の近くまで迫った
が、小早川隆景の部隊などによる
伏兵戦で敗退した。そして三月に
は加藤清正によって逃亡していた
朝鮮の国王が捕らえられた。この
ことで明軍の総大将、李如松から
講和の申し出があり沈惟敬と小西
行長が交渉することになった。
 秀吉はこの時もまだ自ら朝鮮に
渡ることを計画していたが、今度
は淀の懐妊という知らせがあり、
またしても朝鮮行きを延期するこ
とになった。そして日本から講和
の条件を出すことにした。
 講和の条件は、
 明の姫宮を日本の天皇の后とす
ること
 勘合貿易を復旧すること
 明、日本両国の武官による和平
の誓紙を交換すること
 日本を朝鮮王とし南部四道を与
えること
 朝鮮王子、大臣を人質として来
日させること
 日本は捕虜とした朝鮮の二人の
王子を返還する
 朝鮮は大臣の誓紙を提出するこ

 これを受け取った行長はなんと
しても講和を成功させたいと、朝
鮮の二人の王子を返還する替わり
に勘合貿易の復旧をするというこ
とだけを条件として明の沈惟敬に
伝えた。
 長引いていた講和交渉も八月三
日に淀が男子を生んだことで、秀
吉は京に戻ることになり、朝鮮侵
攻はうやむやな状態で休戦に入っ
た。
 朝鮮で戦った各部隊が次々と名
護屋の港に帰還する中、朝鮮の南
部に築城した日本の城を守備する
という名目で一部の将兵が残され
た。これらの者は兵糧が乏しくな
ると多数が朝鮮に投降していっ
た。朝鮮ではこれらの者を降倭と
呼んで受け入れ、鉄砲の製造方法
や戦闘術を学んだ。
< 65 / 138 >

この作品をシェア

pagetop