【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
膿の吸い出し
 天正十一年(一五八三年)一月
 去年の今頃は信長が近江の安土
城で諸大名から年始の祝賀を受け
ていたのだが、今はそんな華やか
さはどこにもなかった。
 秀吉は内紛の芽を摘むことを急
いでいた。それは徳川家康が徐々
に勢力を拡大していたからだ。
 家康は本能寺の変が起きた頃、
堺にいて異変を知るとすぐに三河
に逃げ帰り、織田家の混乱に乗じ
て甲斐を攻め落とした。それと同
時並行して信濃に侵攻して北条と
講和するなどで領土を拡大してい
た。その勢いにのり上洛の機会さ
えうかがっていたのだ。
 秀吉は新年早々から次の手を
練っていた。そして一気に決着を
つけようと滝川一益に密かに命
じ、自分に敵対するふりをさせて
桑名城、谷山城、峯城、亀山城、
国府城を次々に攻めさせた。これ
をきっかけに秀吉は出陣し、同年
二月十日に一益を本拠地の伊勢、
長島城に包囲して予定通り降伏さ
せた。そして十六日には桑名城、
谷山城、峯城を放火した。また、
二十日にも秀吉は亀山城、国府城
を鎮圧して伊勢を平定して見せ
た。
 一益を味方だと信じている柴田
勝家は一益が降伏したことを知る
と雪解けを待てず二月末に出陣
し、前田利家、佐久間盛政らと合
流して兵三万人で近江の柳ヶ瀬に
布陣した。
 秀吉は利家までもが自分に反感
を抱いていたとは思いもしなかっ
たが、これで膿をすべて吸い出す
ことができると息巻いた。
< 8 / 138 >

この作品をシェア

pagetop