【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
神出鬼没
 三月十二日
 秀吉は兵五万人で柳ヶ瀬に進軍
し、柴田らの部隊と対峙した。
 どちらも相手の戦い方を熟知し
ていたため、にらみ合いが続き、
馬防柵や櫓などの砦造りに時間を
費やした。
 これでは長期戦になるとみた秀
吉は一部の兵を残して一旦、長浜
城へ戻った。そして一計を案じて
滝川一益と織田信孝を再び美濃で
挙兵させて大垣城を攻めさせた。
秀吉はその鎮圧のため部隊を大垣
城に出陣させた。
 柴田勝家はこの時を待っていた
かのように佐久間盛政の部隊を出
撃させ、羽柴軍の中川清秀や高山
右近の部隊が守備していた賤ヶ岳
の大岩山にある砦を落としてなお
も進撃を続けた。
 勢いに乗る盛政だったが、前方
に見える群集に心臓が凍りつく思
いがした。そこには美濃の大垣に
いるはずの秀吉の部隊が津波のよ
うに押寄せて来ていたからだ。
 秀吉は本能寺の変で見せた備中
から京への神がかり的な速さで帰
還した世にいう中国大返しの再現
をしたのだ。
 退却もままならなくなった盛政
の部隊が善戦していると柴田勝政
の部隊が加勢しに来て、秀吉の部
隊と激しい戦闘が続いた。この間
に秀吉の別働隊が越前の府中まで
進撃し前田利家に迫っていた。
 利家は秀吉の部隊が瞬時に現れ
たことに、明智光秀の二の舞にな
ることを恐れすぐに降伏した。
 間もなく盛政、勝政の部隊も劣
勢になり、退却を始め、柴田勝家
に加勢していた他の部隊も総崩れ
となった。
 残った勝家の本隊に秀吉の大軍
が迫ると勝家はやむなく越前、北
ノ庄城に退却した。
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