【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
三成の誤算
 安芸、広島城で岩見の話を聞い
た輝元は吉川広家と小早川隆景亡
き後の補佐役、安国寺恵瓊に相談
した。
 この頃、広家は家康との融和を
はかり無用な対立を避けようとし
ていた。しかし恵瓊は家康との対
立は避けられないと考えていた。
 三人は大陸、明との戦いで大砲
の威力を知っていたので、新型の
大砲を積んだ船が家康のものにな
ることを恐れた。しかし、船を奪
い取れば謀反として家康に大義名
分を与えることになる。
 広家は輝元が西方の統治者とし
て船を調べる権利があることを家
康に伝えるべきだと主張した。そ
れに対して恵瓊は秀頼の後見人と
して家康が先に調べると言えば誰
にもとめることはできないと主張
して話はまとまらなかった。
 一計を案じた恵瓊は密かに石田
三成のもとへ使者を向かわせた。
 恵瓊の使者は商人の身なりをし
て近江、佐和山城に入った。そし
て恵瓊の密書を三成に渡すと、そ
れを読んだ三成は言葉を失った。
 三成は家康に大砲が渡ることを
恐れたのではない。強力な武装を
した異国の船が漂着とはいえ日本
にやって来たことを恐れたのだ。
(これから異国の軍艦が大軍で押
し寄せてくる。朝鮮の水軍にさえ
てこずる日本の水軍では持ちこた
えられない。かの地では異国に攻
められて植民地にされた国もある
と聞く。家康はそのことに気づく
だろうか。異国がすぐに攻めてく
るとは限らない。たとえ家康が
知ったとしてもその跡を継ぐ子が
ぼんくらでは対処できまい。もは
や家康の寿命を待ってはいられな
いか)
 三成は知略に長けた側近の島左
近を呼んで相談した。
 三成の言葉一つ一つにうなずい
て聞いていた左近は、恵瓊から知
らせが来たということは毛利一族
が動くかもしれない。そうなれば
西はまとめやすい。今は東の手立
てを考えておくべきではないかと
進言した。
 三成はうなずいてすぐに使者を
会津の上杉景勝の家老、直江兼続
のもとに向かわせた。
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