ヒーローに恋をして
「おばさんたち遅いねぇ」

 小学校の卒業式を終えて、あとは中学に入学するのを待つばかりとなった春休み。桃子とコウは互いの母親に連れられて大型ショッピングセンターに来ていた。

 セール会場でアレもコレもと買い込む二人の母親にすっかり退屈した二人は、あっちで休んでる、と言ってこのパイプ椅子に座った。少し遠くにある白い舞まで、ずらりと並んだパイプ椅子。もうすぐなにかのイベントが始まるようで、空席はもうあまりない。幼稚園くらいの小さな子どもたちと、その母親という組み合わせが多く、あたりはワーキャーと甲高い声がひっきりなしに聞こえる。

「ねぇねぇ、ももちゃんちょっと立って」
 コウに腕を引っぱられ、桃子はエーと声をあげた。
「足つかれたもん、座ってようよ」
 嘘だ。ミニバスクラブで走り回ってる桃子の足はまだピンピンしてる。それがわかってるからか、コウもグイグイと腕を引っぱる。
「ちょっとだけ。立ってってば」
 ため息をついて、億劫そうに立ち上がった。カシャ、とパイプ椅子が小さく音を立てる。

 コウのやりたいことはわかっていた。この頃いつもこうだ。

 コウが桃子の背中に自分の背中をぴったりあわせて、頭のてっぺんをピンとのばした掌でさわる。

「ねぇ、僕身長のびた? この前より高くなってる?」
「だから変わんないってば」
 おもわずトゲトゲした口調になってしまう。実際コウの身長は、四年生になったばかりの春にした身体測定の結果から大して変わってないとおもう。

 なんだか最近、コウがへんだ。

 いつからか、背が伸びたかどうかをやけに気にするようになった。今まで見る専門だったバスケもやり始めた。四年生になったら参加できる学校のクラブ活動で、コウは桃子と同じミニバスケットクラブを選んだ。バスケって、背が伸びるんでしょ? そう言って桃子を驚かせた。

 ドリブルの練習に付き合いながら、桃子は混乱していた。コウはいつも、桃子の試合をコートの外側から応援してくれていたのに。どうして今いっしょに、体育館を走り回ってるんだろう。

 こうちゃんは、今のままで充分なんだよ。私がずっと、守ってあげるんだから。

 ミニバスの試合は男女別だから、一緒に出てコウを守ってあげることはできない。コウのかわいい顔や小さな頭にボールがあたったらどうしよう。本気で心配してるのに、コウは朗らかに笑って言った。

 だいじょうぶだよ、ももちゃん。僕は平気だから、ももちゃんも試合がんばってね。

 最後は逆に心配されるようにそう付け足されて、なんだか色々と気に入らなかった。

 気に入らないといえば、最近ずっとそうだ。体の中に灰色の雲がひとつあって、それがじっと停滞してるみたい。なにをしても気分が晴れない。

「ねぇ、でも少しは伸びたかなぁ? 毎日牛乳飲んでるんだよ」
 牛乳きらいだったくせに。

 知らない、とつっけんどんに言ってドサリと椅子に座り込む。

 ねぇこうちゃん、わかってるの。
 のほほんとした顔でそんなことを言う幼なじみにもどかしい思いが湧く。

 この間、桃子は小学校を卒業した。来月からは家から少し離れた場所にある中学へと通う。
 
 もうこれまでみたいに頻繁に会えなくなる。それなのにコウは、身長のことばかり気にしている。

 不機嫌のいちばんの理由はこれだった。
 その根っこに寂しさがあることに、十二歳の桃子は気付いてなかったけれど。

 そのときふいに、大きな声がした。

「お待たせしました! 宇宙戦士プラネットの登場です!」

 ハキハキした女の人の声。舞台の端でマイクを持ったお姉さんがそう言うと、大音量で音楽が流れた。

 ワァァー!

 周囲の子どもたちが両手を上げる。母親たちが携帯をかざす。舞台袖から、誰かが出てきた。

「みんな、来てくれてありがとう!」

 銀色のフルマスク。赤いヘルメット。銀と赤の二色で彩られたコスチュームは、肩や肘にゴツゴツした細工がしてある。舞台にはフルマスクと、その隣にエビのような両手を振っているちょっとグロテスクな怪獣が立っていた。子どもたちの叫ぶ声がキンと耳に痛い。

「プラネットだ」

 驚いたのは、隣でコウがそう言ったからだ。
「知ってるの?」
 コウはちょっと照れくさそうにふふっと笑って頷いた。
 コウがこんな、いかにも男の子が好きそうなものに興味があるなんて知らなかった。
「かっこいいんだ。未来から来たプラネットが、怪人グルルを追いかけて」
 珍しく頬を紅潮させてコウが説明する。その声が耳に入ってこない。大声援と、心の中でまた渦を巻いた灰色の雲のせいで。

 ももちゃんは僕のヒーローなんだよ。

 そう言ってくれたコウを思い出していた。

 コウは、新しいヒーローを見つけたんだろうか?
 身長がどうとか、そんなことを気にするのもプラネットのせい?

 泣いたのなんて、試合で肩を脱臼したときくらいだ。それなのに灰色の雲がぐるぐると収縮して、じわりと心を揺らす。こんなことで泣いたりしたら、ぜったい自分を許せない。それなのに、まぶたがぽやりと熱をもった。

「ねぇキミ」

 声がかかったのはそのときだ。

 振り返ると、大人の男がこっちを見ていた。
 痩せた頬にとがった顎、鼻先で止まっている金縁の丸いめがね、胸元がよれたグレーのTシャツ。全体的にダサいのに、髪色ばかりがやたら明るい茶で染められた男が前かがみになってこっちを覗きこんでいた。

 不審者。

 桃子の涙はひっこんだ。さっと立ち上がってコウを庇うように立つ。
「おじさん、なんの用? こうちゃんに近寄らないで!」
 漲るエネルギーが、心に浮かんでいる灰色の雲を蹴散らしていく。

 わたしがこうちゃんを守るんだ。
 その想いが目に力を宿した。

 男は警戒心むき出しで立つ桃子に少し慌てたように身を引いて、両手を胸の高さまで上げる。
「こうちゃん? ちがうちがう、用があるのは、キミだよ」
 キミ、と目で桃子を示す。

 ……わたし?

 予想外の言葉に警戒を忘れ、キョトンとする。いつだって大人たちの注意を引くのはコウで、桃子の役目は彼らを撃退することだった。
「…………な」
「なんの用ですか?」
 スッと。桃子の肩より半歩前にコウの頭が出る。普段あまり見ることのないコウの後頭部。
 表情はわからない。でも、いつものコウより少し固い声だった。やわらかな砂糖菓子みたいな声しか聞いたことのない桃子は、なによりそのことに驚いた。

「ももちゃんに、なんの用なんですか」
 問い詰める声はさらに固い。
 コウに庇われてる? その事実にぼうっとなる。舞台のスピーカーからビームの音やら打撃音が大音量で流れている。
 男は小さな名刺を取りだした。宇野陽一、と名前が書いてある。

「キミ、芸能界に興味ない?」
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