ある王国の物語。『白銀の騎士と王女 』

 ヴィルヘルムとラメールがミダに向かっている頃、ミダの店は大忙しだった。

「もう、嫌。今日一度も休憩してないよ〜 頭が痛くなってきた」
 ケイの言葉を聞いてティーナも少しだけ賛同する。

「確かに……少し疲れるわ……でも、もう少しで閑散時間よ。頑張りましょう。ね!!」

 ティーナは出来るだけ明るくケイに笑いかける。でも実は朦朧としていたのはケイではなくティーナだった。
 誰よりも動いて笑顔を絶やさず接客しているティーナは、昨晩……久しぶりにあの襲われる夢を見て、朝から吐きっぱなしだったのだ。

「…こんな大事な時期に、あの夢を見ちゃうなんて…まだ震えが止まらないわ。…特に……男性のお客様は駄目ね。手が軽く触れるだけでも吐いちゃうわ……。なんて私って失礼なのかしら……もう嫌」

 気をぬくと震えだす両手を意識して握りしめる。

「もう少しで休憩がもらえるわ。吐きすぎて喉も痛めたし。休憩に入ったら、飴を食べよう」
 ティーナは、自分に喝を入れ。不貞腐れているケイのお尻を叩きながらミダの店を駆け回る。


「ティーナ、大丈夫??」

 同じ従業員のサンダーが心配そうにティーナに声をかける。

「サンダー、大丈夫!! 気にしないで!!」

 ティーナに手を貸そうとするサンダーから、もの凄い勢いで身体を離す。サンダーはミダの中でも、ダントツ人気のボーイで、ファンクラブもあるくらいの美男子だ。
 しかしティーナにとってはサンダーの様な美男子といえども、今は気持ち悪く思ってしまうのだ。

 先ほどサンダーに手を握られ、吐いてしまった。貴方に触れられたから吐いたのよ、とは言えず。また同じように触れてこようとするサンダーに若干苛立ちを持ってしまった。

「どうして、君が心配なんだよ??」

(「ぅんもう!! サンダーは美男子だけど、空気読めないのに、腹が立つ。働け!! 動け!! まだ、引いてないお皿があるでしょうが!! 私より、お皿を引いて!!」)

 ティーナは心の中でサンダーを罵倒しながら、でも自分で動く。心にある事をなかなか口に出せないのがティーナの性格だった。


「サンダー…また、ティーナに絡んでる……望みがないって分からないのかしら……馬鹿だから分からないのね…」

「そうね……美男子だけど、あの子は残念な子よね…」

 注文をとって戻ってきた、ケイと同じ従業員のエステルは同時に溜め息を吐く。

 厨房にいた支配人のシモンがティーナ達を呼ぶ。

「そろそろ、コーディンの間を予約しているお客様が来る。かなりの金額をさらっと出せる方達だ、絶対に粗相をしないようにな」

「「「はい。かしこまりました」」」

 女性陣は、ケイ、エステル、ティーナ、そして男性陣はサンダー、ジャン、モリス、マルクがいきよいよく返事をする。

 どんなに店が忙しくとも、ミダのコーディンの間は上級貴族専用となっており、ほぼ空いている。
 久しぶりにコーディンの間を使用する。皆に緊張感が走り、空気が変わる。

「どんなお客様かしら……上手く接客できるか、不安だわ……」

 ケイの呟きが余計に不安を掻き立てる。一番年長のモリスが優しくケイに諭す。

「大丈夫だよ。僕達は接客のスペシャリストだ。他の店には負けないよ。どんなお客様でも、いつもの様にだよ」

 モリスの声はとても落ち着く。皆は一同にうなづき仕事に戻る。



「ねぇ、ティーナ、大丈夫?? 顔、真っ青よ……それに手が震えてるし………」

「ケイ……大丈夫よ。あと、これを引いたら休憩に入っていいと言われているから、心配しないで……」

 ティーナはそう話すのがやっとだった。さっき男性のお客様に腕を掴まれたのだ……。生の肌の触れ合いは今のティーナには拷問。吐くのを堪えている状態で、震えまでは我慢出来ないのだ。

「ティーナ………もう、これ私がやるから、先に休憩出なよ」

「ティーナ!! 僕が君を介抱してあげるよ」

「えっ!?」ティーナが。「はっ!?」ケイが。
 声の方を振り向くと、サンダーがにこやかに手を掴んでくる。


(「うそっ!! 嫌!! 触らないで!! 吐いちゃう!!」)
 サンダーの手を振り払う、でも喉をせり上がる吐き気が収まるわけもなく、口を両手で塞ぐ。
 サンダーから離れる為に身体に力を入れすぎて身体が傾く。

「受け身が取れないな……」と冷静に思いながら、でも口から手を離すと吐いてしまうので、そのまま倒れようと思った………のに、床に打ちつけられる衝撃がやってこ…ない………?………。
 何故か懐かしいと感じる不思議な感覚。先ほどまでの震えは消えていて、吐き気も止まっている。呆然と両手を見ていると、頭上から甘く優しい声が聞こえてくる。


「……大丈夫ですか?」

 ティーナの身体は甘く優しい声の主に抱きとめられていた。
 甘く優しい声が、
 逞しい腕が、
 何故かとても懐かしくて、
 涙が溢れて止まらない……。離れないと、そう思っているのに身体がそれを拒む。思考と身体が切り離されていた。

「申し訳ございません、お怪我はございませんか!?」

 支配人シモンの焦った声が聞こえて、ティーナの思考と身体が結びつく。

(「この方が、コーディンの間のお客様!! しまった!!!」)ティーナが腕の中から離れようとした瞬間。
 身体は宙に浮く。慣れしたんだ感覚が一気に身体の全神経を巡る。知っている……そう思う自分に驚く………。


「あっあの、も、申し訳ございません。私の不注意で、お怪我はございませんか?? ……あの、私は大丈夫ですので、その、おろして下さい……」

 慣れしたんだ腕の中はとても心地よく落ち着く。吐き気も震えも止まった今、冷静に「大失敗した。首かも」とティーナは必死。

「いきなり倒れたのです。このままは心配ですので、医務室か…休憩室はないのですか? そこまで抱いていきます」

 甘く響く声に涙は止まるが、今度は気を失いそうだ。というか腰にくる。
(「止めてーー!! それ以上、話さないで!! 腰が抜けるわ!!」)

 ミダのスタッフが呆然としている。が今一番凄い顔をしているのが、コーディンの間を予約していた……現在ティーナを抱えている方のお連れの人。

(「……凄い顔してるわ。私よりお連れ様の方が…大丈夫か心配ですけど……」)


「場所は??」
 支配人に甘く腰が砕けそうな声色で尋ねている。

「………奥に……休憩室が…………」
「案内してくれ」
「………はい」

「動きますね」とティーナに囁かれる甘く響く声は、皆の時を止める。

(「もう、駄目、気を失いそう」)

 休憩室に入り、まるで壊れ物を扱うように優しく椅子におろされる。気持ち悪くないか、甘い声色でひたすら聞いてくる。
 ティーナは何も話せず、ただひたすら首を縦にふるしか出来なかった………。

 ティーナを椅子に座らせた後、支配人と一緒に部屋を出て行くその後ろ姿を、何故かとても懐かしく思い…また涙が溢れてくる…。
 悲しくもないのに涙は決壊し止まらない。魂が震える…そんな不思議でたまらない体験をした。




 支配人シモンは何度も頭を下げてくる。

「本当に、申し訳ございません。このような事態になり、不徳の致すところでございます」

「構わない、怪我が無くて良かった。あの娘は…名をなんというんだ?」

「………ティーナといいますが…あの。わざとでは無いのです!! あの娘はいつもは…」

「罰するつもりで聞いていない。ただ……心配なだけだ。落ち着いたらまた会わせて欲しい……帰る時に会わせてくれるか?」

「はい!! それは勿論でございます。この度は本当に申し訳ございませんでした」

「いや、食事、楽しみにしている」
 ヴィルヘルムはそれだけ言って、もう話さなくなった。


 ヴィルヘルムとラメールは、コーディンの間に入り席につく。
 コーディンの間の素晴らしい調度品。美しい椅子や机、内装に至るまで、全て彼らの目には入っていなかった。


「……ヴィルヘルム様……彼女がエルティーナ様ですか?? なんだか、お花畑が見えましたけど……後、ヴィルヘルム様もあんな甘ったるい声で話すんですね……色々驚きです。というか、甘過ぎて気持ち悪いです」

「…………か……可愛かった…………」

 机に突っ伏して身悶えているヴィルヘルムを見て、ラメールは呆れていた。

「………良かったですね。……ガチでイメージ通りで驚きです…っていうかなんか、抱き上げられるの。彼女も慣れてませんでした? 絶対に周り変に思ってましたよ。ヴィルヘルム様と…ティーナ様でしたっけ……二人の世界入ってましたから……」

 返答のないヴィルヘルムにラメールは楽しそうに話す。

「俺は愛のキューピッドですね!! で。どうするんですか?? 孫やら子供やらが、いるようには見えませんし。指輪もつけていないから結婚もしてませんよ」

「……どうもしない」

「はい、はい、もうそう言う痩せ我慢は無しにしましょう。好きなんでしょう? 可愛かったですもんね。エルティーナ様のイメージ通りですもんね。過去は過去。今を生きて下さい。
 ヴィルヘルム様、貴方が何も行動を起こさないのなら、メラル王妃とクラリス様に話しますので」

「それは止めてくれ」本気で嫌そうなヴィルヘルムを見て思わず笑う。

「だったら、決まってますよね!!」

「……あぁ、もう一度、あの時のやり直しを。今度こそ、恋人になりたい。抱きしめて、飽きるまで口付けをしたい………好きになってもらえるように…努力だな」

 普段からは到底信じられないような、柔らかい雰囲気のヴィルヘルムに、ラメールは今日何度目になるだろう驚きを体験する。

「……努力いりますか? 鬘とマスクをとって。〝愛している〟って言ったら断らないでしょう」

 馬鹿ですか?というラメールの顔を見て、ヴィルヘルムは優しく微笑む。

「好きな人がいるなら、応援するし協力もしたい。もう恋人がいたり、結婚が決まっているなら、贈り物がしたい。幸せを引き裂くつもりはない。
 ティーナ様に今、誰も好きな人がいないなら、その時は迷わない。彼女には、私の妻になってもらう」


「あっそうですか……勝手にしてくださいよ、全く…」

 机に肩肘をついて、ラメールはやる気無さげにヴィルヘルムに返答した。

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