御曹司さまの言いなりなんてっ!
シャツの半袖から覗く、彼の両腕のしなやかな筋肉にドキドキする。
深めの襟ぐりから見える鎖骨や胸元にどうしても目がいってしまって、私は慌ててお惣菜に視線を逸らした。
彼自身は意識していないであろう、でも匂い立つような男の色香が漂ってきて、それが私の気持ちをよけいに高揚させている。
「まさかなあ。あの時の女の子と、こうして一緒にメシ食ってるなんてな」
しみじみとした部長の言葉に、私は顔を上げた。
彼が見せる少年のような笑顔と、彼から漂う色香のギャップに心臓が高鳴ってしまう。
そんな自分を隠したくて、私はわざと揶揄するような口調で話した。
「部長、あのとき通り魔事件と勘違いしたんですよねぇ?」
「道端にいきなり人が倒れてたら、普通そう思うだろ? 死体を発見したかと思って本気で焦ったぞ?」
「そんな発想しませんよ、普通の人は」
「なにが『普通の人は』だよ。それこそ普通の人間は道路のど真ん中で引っくり返ったりしないんだよ」
「……悪かったですね。普通じゃなくて。返して下さい私のファーストキス」
「俺だってそうだよ。返せ、俺の貴重なファーストキス」
私達は笑い合った。
“ファーストキス”という言葉の奥に、さり気なくも特別な色合いの感情をお互いに忍ばせながら。
「でも部長、よく私の顔を覚えていましたね? もう十年も昔のことなのに」
本当に、大した記憶力だと思う。
確かに滅多にない印象的な事件ではあったけれど、一緒にいたのはほんの僅かな時間だけだったのに。