御曹司さまの言いなりなんてっ!
その言葉を聞いた私は安心して立ち上がった。
周囲の仲居さん達に「お騒がせして申し訳ありませんでした」と頭を下げて丁寧にお詫びする。
そしてこの場から立ち去るべく、ゆっくりと歩き出した。
「成実」
部長の横を通り過ぎる瞬間、私は彼に名前を呼ばれて立ち止まった。
「確かに俺はお前を利用しようとしていた。でもお前と再会できて、嬉しかったのも本当なんだ」
ポツポツと、雨音がこぼれるようにしんみりと、彼の声が静かな空間に沁みていく。
「相反する事実があって、その時俺は、いったい何をすべきだった?」
「……なにも」
「成実、俺の元に残ってくれないか?」
私は静かに首を横に振った。
私がこんなに意地っ張りな性格じゃなかったら、もしかしたら彼の元に残ったのかもしれないけれど。
でも私は『遠山の金さん』で、そして事実を知ってしまったから。
それに私達は、『ああ、恋って素晴らしい』だけでは、もう全てを片付けられない程度には大人になってしまったから。
だから、どうにもならなかったのだと思う。
会長は愚かで、専務も愚かで、部長も愚かで。
そして何も知らずに浮かれて踊っていた私も、愚かであったのに違いないから。
だからお互いみんなで目を瞑って、苦笑いして、全部無かった事にしてしまいましょう。
だから……。
「だから部長は、あなたの望むあの楽園に戻って下さい」