御曹司さまの言いなりなんてっ!

 途端に部長がピタリと足を止めた。

 その背中にぶつかりそうになって、つんのめりながら私も立ち止まる。

 そのまま一歩も動かず、私達はしばらく無言だった。


 四方から聞こえてくる各部署の活気あるざわめきの中で、ここだけ気まずい沈黙が流れている。

 何もない廊下のど真ん中で無表情に立ち尽くす彼の姿を、周囲の社員たちは怪訝そうに見ていた。

 これはどうも、怒らせちゃったかな?

 内心ちょっとビクつきながら、私は背の高い彼の表情を斜め後ろから見上げた。


 少し長めの睫毛に覆われた、意志の強そうな黒い瞳。スッと通った形良い鼻筋。

 整い過ぎて冷たく見えがちな印象を、唇の温かな赤色が救っている。

 前を向いたままのその唇が、ようやく動いた。


「つまりお前は、俺の判断を跳ね退ける。と言うんだな?」

「…………」

「なぜ自ら幸運を捨てようとする? 俺にはその考えが理解できない」

「私はただ、公正にして欲しいんです」

「公正?」

「はい。私も他の受験者たちと同じ条件で、試験を受けたいんです」


 不可解な採用に対する警戒心がある。

 まあ、それでもこの人が私を採用したのは、この人なりの正当な理由があるのかもしれないけれど。

 でも私にはどうしてもこの状況を『わー、ラッキー♪』なんて素直に受けいれられない。

 かつての職場仲間たちのことを思えば、そんな脳天気な思考にはなれなかった。
 
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